NHK高校講座 言語文化
(音楽)
ナレーション:
NHK高校講座、言語文化。始まります。
河 実里夏:
皆さん、ご機嫌いかがですか? 河 実里夏です。
今回は「とんかつ」の二回目です。小山 志門先生と一緒に読み進めていきましょう。
それでは小山先生、よろしくお願いします。
小山 志門:
小山です。よろしくお願いします。
前回に引き続き、小説「とんかつ」を読んでいきましょう。
河 実里夏:
それでは今回の学習のポイントを紹介しましょう。
一つ目、女将の驚きについて。
二つ目、親子の境遇について整理する。
三つ目、母親の心情を考える。
以上の三つです。
それでは学習を始めましょう。
(間奏)
河 実里夏:
「女将の驚きについて」。
小山 志門:
さて、前回の放送で、「親子心中」という疑念を抱いてしまうような、親子二人の客が話題の中心でした。
今回はその二人が宿に戻ってくる場面から読みましょう。朗読は高山 久美子さんです。
(朗読)
親子は、約束どおり日暮れ前に帰ってきたが、それを玄関に出迎えて、思わず、あっ、と驚きの声を洩らしてしまった。
母親は出かけたときのままだったが、息子のほうは、髪を短く伸ばしていた頭がすっかり丸められて、雲水のように青々としていたからである。
あまりの思いがけなさに、ただ目をみはっていると、
「まんず、こういうことになりゃんして……やっぱし風がしみると見えて、くしゃみを、はや三度もしました。」
母親は、仕方なさそうに笑って息子をかえりみた。
息子のほうはにこりともせずにうつむいて、これまた仕方がないというふうに青い頭をゆるく左右に振っている。どうやら、どちらも納得ずくの剃髪らしく、
「なんとまあ、涼しげな頭におなりで。」
と、ようやく声を上げてから、ふと、宿泊カードに光林寺内とあったのを思い出した。
「それじゃ、こちらがお坊さんに……?」
「へえ、雲水になりますんで。明日から、ここの大本山に入門するんでやんす。」
母親は、目をしばたたきながらそう言った。
それで、この親子にまつわる謎がいちどに解けた。
大本山というのは、ここからバスで半時間ほどの山中にある曹洞宗の名高い古刹で、毎年春先になると、そこへ入門を志す若い雲水たちが墨染めの衣姿で集まってくる。
この少年もその一人で、北のはずれから母親に付き添われてはるばる修行にきたのである。
それにしても、頭を丸めた少年は、前にも増してなにか痛々しいほど可憐に見えた。さっき青々とした頭に気づいたとき、まるで雲水のような、とは思ったものの、本物の雲水になるための剃髪だとは思いも及ばなかったのは、そのせいだが、母親によると、得度さえ済ませていれば中学卒で入門が許されるという。
けれども、ここの大本山での修行は峻烈を極めると聞いている。果たしてこの幼い少年に耐えられるだろうかと、他人事ながらはらはらして、
「でも……お母さんとしてはなにかとご心配でしょうねえ。」
と言うと、
「なに、こう見えても芯の強い子ですからに、なんとかこらえてくれましょう。父親も見守ってくれてます。」
母親は珍しく力んだ口調で、息子にも、自分にも言い聞かせるようにそう言った。
息子が湯を使っている間、帳場で母親に茶を出すと、問わず語りにこんなことを話してくれた。
自分は寺の梵妻だが、おととしの暮れ近くに、夫の住職が交通事故で亡くなった。夫は、四、五年前から、遠い檀家の法事に出かけるときは自転車を使っていたが、町のセールスマンの口車に乗せられてスクーターに乗り換えたのがまずかった。凍てついた峠道で、スリップしたところを大型トラックにはねられてしまった。
跡継ぎの息子はすでに得度を済ませていたが、まだ中学二年生である。仕方なく、町にあるおなじ宗派の寺に応援を仰いでなんとか急場をしのいできたが、出費もかさむし、いつまでも住職のいない寺では困るという檀家の声も高まって、一刻も早く息子を住職に仕立てないわけにはいかなくなった。
住職になるには、大本山で三年以上、ほかに本科一年の修行を積まねばならない。ゆくゆくは高校からしかるべき大学へ進学させるつもりだったが、もはやそんな悠長なことは言っていられない。十五で修行に出すのはかわいそうだが、仕方がなかった。
自分は明日、息子が入門するのを見届けたら、すぐ帰郷する。入門後は百日、面会はできないというが、里心がつくと行けないから面会などせずに、郷里で寺を守りながら、息子がおよそ五年間の修行を終えて帰ってくるのを待つつもりでいる……。
「それじゃ、息子さんは今夜で娑婆とは当分のお別れですね。お夕食はうんとごちそうしましょう。なにがお好きかしら。」
そうきくと、母親は即座に、
「んだら、とんかつにしていただきゃんす。」
と言った。
「とんかつ……? そんなものでよろしいんですか。」
「へえ。あの子は、寺育ちのくせに、どういうものかとんかつが大好物でやんして……。」
母親は、はにかむように笑いながらそう言った。
だから、夕食には、これまででいちばん厚いとんかつをじっくりと揚げて出した。しばらくすると、給仕の女中が降りてきて、
「お二人は、しんみり食べてますよ。今のぞいてみたら、お母さんの皿はもう空っぽで、お子さんのほうはまだ食べてます。お母さんは箸を置いて、お子さんがせっせと食べるのを黙って見てるんです。」
と言った。
小山 志門:
まずこの場面の初めの一文を、改めて読んでみましょう。河さんお願いします。
河 実里夏:
「親子は、約束どおり日暮れ前に帰ってきたが、それを玄関に出迎えて、思わず、あっ、と驚きの声を洩らしてしまった」でした。
小山 志門:
この女将の驚きは、息子の頭がすっかり丸められていたことに対する驚きですね。
「雲水のように青々としていた」とありますが、雲水は修行をして歩く僧のこと。頭が青々とするくらいの、もうすっかり剃り上げられた状態ですね。
この時の女将の心情を想像しておきましょう。
河 実里夏:
出かける時は、「親子心中なんかしないかしら」と心配していたんですよね。
小山 志門:
その点については、約束の時間にしっかり帰ってきたわけですから、ほっとした気持ちはあるでしょうね。
でも、帰ってきたはいいですが、息子がすっかり頭を丸めていたら、そんなことは想像してなかったでしょうから、思わず、客ではあるものの「あっ」と声が出たほど驚いたわけです。
さて、この時点で、物語の冒頭、ずっと分からないままだった妙な雰囲気の二人がここに来た理由が、女将には分かったんです。
冒頭からここまでの情報を集めて、考えてみてください。作品の情報を繋げるとどうでしょうか?
河 実里夏:
あ、「ふと、宿泊カードに光林寺内とあったのを思い出した」とありました。
小山 志門:
そうです。しかも息子は「今春中学卒業」とも書いてありましたよね。
この宿の近くには曹洞宗の大本山があって、お寺に住んでいる親子は、そこへの入門のために青森からやってきたのだということを理解をしたわけです。
息子のお寺への入門が分かった後、女将が母親に話しかけた言葉は見つかりますか?
河 実里夏:
「お母さんとしてはなにかとご心配でしょうねえ」と心配しています。
小山 志門:
その台詞の手前に、息子のことを「痛々しいほど可憐に見えた」と書いてあります。
大本山の修行が「峻烈を極める」と聞いていた女将は、この幼い少年に耐えられるのか、と心配したわけです。
それに対する母親の答えは、「芯の強い子ですからに、なんとかこらえてくれましょう。父親も見守ってくれてます」とあります。
台詞の後には、「珍しく力んだ口調で、息子にも、自分にも言い聞かせるようにそう言った」と描かれています。
この「力み」や、「自分にも言い聞かせる」という表現からは、息子なら大丈夫と思っている以上の、何やら重い、決意めいた感じが伝わってくるような気がします。
(間奏)
河 実里夏:
「親子の境遇について整理する」。
小山 志門:
さて、「なんとかこらえてくれましょう」と、息子にも自分にも言い聞かせているような台詞の後、母親が女将に身の上話をします。
その母親が語る身の上話が、作品冒頭の二人の妙な雰囲気や、母親の思わせぶりな様子などを、一気に解決していきます。
先ほど、「父親も見守ってくれてます」、「珍しく力んだ口調で言い聞かせるように」という母親の台詞がありましたよね。
河 実里夏:
深い決断をしたんだなと感じました。でもこの場面に、父親がいませんよね。
小山 志門:
そうなんです。父親は仕事中の交通事故で亡くなったというのです。息子が中二の時だそうです。
お寺の生活や仕事に詳しくはありませんが、そんなお勤めを父親、住職なしで凌ぐのは、きっと大変なのだと想像します。
そういう状況の下、母親は仕方なく息子を中学卒業と共に、修行に出すことになったということでした。
河 実里夏:
なるほど。そういう事情があったんですね。
小山 志門:
それを踏まえて気持ちを想像しておきましょう。
まず母親はどうでしょうか?
「出費もかさむ」、「檀家の声も高まる」というお寺の事情を強く感じていることが分かります。
きっと夫の遺志を継いで、寺を守るという責任感もあるでしょう。
だからこそ息子には、「かわいそうだが仕方なく」、修行に出すのです。
そのまま幼い息子を修行に送り出す決意を、具体的に読み取れる表現は何か見つかりますか?
河 実里夏:
「里心がつくと行けないから面会などせずに、郷里で寺を守りながら、五・六年の修行を終えて帰ってくるのを待つつもりでいる」、と語っているところでしょうか。
小山 志門:
その通りですね。本当は心配でたまらなくて、面会もしたいけど、グッと堪えられていることが伝わってきます。
でも自分がそんな思いを抱いては、息子にも「里心」がついてはいけない。そういう決意です。
その息子はどうでしょうか?
河 実里夏:
この辺りに、息子自身の様子は書かれていませんね。
小山 志門:
そうなんです。でも前の場面で、頭を丸めて帰ってきた時、「にこりともせず、うつむいて立っていた」様子がありました。
それでも「仕方ない」という風に頭を振ってもいました。
自ら喜んでの入門ではもちろんありませんが、自分が父の後を継ぐことは受け入れているような感じでしょうか。
(間奏)
河 実里夏:
「母親の心情を考える」。
小山 志門:
二人の境遇を知った女将の心情はいかがでしょう。
この女将は、ここまで客の様子をよく観察し、想像を働かせて声をかけている様子がしばしば見られました。
ここでも、息子がしばらく娑婆と別れる事実を受け止め、母親に、「夕食はごちそうするから何がいいか」と尋ねます。
物語の冒頭で、二人に対して疑念を抱いていた時の気持ちとは全く異なっていますね。
二人の境遇を聞き、応援の気持ちが芽生えるように変化していきます。
お寺に入門し修行する少年。その少年の入門を見届ける母。
さて、一体どんな料理を注文したのでしょうか?
河 実里夏:
母親は即座に、「とんかつ」と答えていましたね。
小山 志門:
そうですよね。「とんかつ」って、もちろん店にもよると思いますが、特別な高価な料理というものでもありません。
また、お寺の戒律や、修行の身という状況を考えると、「とんかつ」というのは適さないように思えます。
でも、息子の一番好きな料理で、お寺に修行に行くとしばらく食べられなくなるのが分かっているから、それを一番食べたいだろうと思いついたのでしょう。
その注文に、女将は「これまでで一番厚いとんかつ」で応えます。
河 実里夏:
「のぞいてみたら、お母さんの皿はもう空っぽで、お子さんの方はまだ食べてます」とありますね。
小山 志門:
そして、「箸を置いて、お子さんがせっせと食べるのを黙って見てる」。
様々な思いで胸いっぱいの母親が、息子を見守ってるんです。
この場面、言葉で細かく表現されてはいませんが、みんなの気持ち、決意、女将と母親のやり取り、とっても人間的な深みのある交流が描かれてますよね。
(間奏)
河 実里夏:
さて、今回の講座のポイントをまとめておきましょう。
一つ目、女将の驚きについて。
二つ目、親子の境遇について整理する。
三つ目、母親の心情を考える。
この三つでした。
小山 志門:
今回は登場人物が置かれた状況や気持ちを読み取りました。
謎解きのような流れで、母親と息子の境遇が明らかになっていきましたね。それに伴い、女将の気持ちも変化していきました。
そうやって作品の描写を丁寧に読みながら、変化を追うというのが大事な読み方です。
河 実里夏:
さて今回は、「とんかつ」の二回目の学習でした。小山先生、ありがとうございました。
小山 志門:
ありがとうございました。
河 実里夏:
NHK高校講座、言語文化。河 実里夏と小山 志門先生でお送りしました。