木本 景子:NHK 高校講座「言語文化」の時間です。ご機嫌いかがですか? 木本 景子です。今回も前回に続いて「俳句」を学習していきましょう。講師は 小山 志門 先生です。よろしくお願いします。
小山 志門:小山です。よろしくお願いします。前回は「リズム」、「自然」、「音」をポイントにして俳句の味わい方を学習しました。五・七・五の音数からなるリズムをまずは感じながら、そこに描き出された情景を想像する。特に「俳句」は自然を詠ったものが多いので、その作品の中でどんなものが表現されているのか、その時の状況を思い浮かべることが大事なんでしたね。
木本 景子:はい。そう学びました。
小山 志門:その上でさらに、その場所にいたつもりになって、どんな音が聞こえてくるかまで想像すると味わいが広がるというお話をしました。文字で表された「俳句」ですが、そこから想像力を生かして描かれた光景をイメージし、そこにどんな心情が感じられるかという読み方を前回学んだわけです。今回は違った視点で俳句を味わっていきましょう。
木本 景子:それでは今回の学習のポイントを紹介しましょう。今回のポイントは、
〈一〉言葉にこだわる
〈二〉作品の背景を知る
〈三〉俳句の面白さを知る
以上の三つです。
小山 志門:それでは学習を始めましょう。「言葉にこだわる」。俳句はやはり言葉で表現されるものですから、言葉に注目することが大事です。作者も思いを十七音に託して凝縮した表現をしているはずです。その言葉に注目することで、作者の思いに迫ってみましょう。まず一つ目は次の俳句です。朗読は 高山 久美子 さんです。
(朗読)
いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡 子規
木本 景子:この俳句は言葉としては分かりやすいですね。
小山 志門:そうですね。書かれていることが分からないということはなさそうですね。「いくたびも」という言い方は普段使わない人が多いかもしれませんが、「何度も」ということですよね。何度も降り積もっている雪の深さを人に聞いた、という俳句です。さて、この俳句を読んだり聞いたりしてみて、どんな情景を思い浮かべますか? 雪が降っている景色でしょうか? もしそうだとしたら、どれくらい降って、どれくらい積もっていますか? 木本 さんはどう思いますか?
木本 景子:そうですね。何度も聞くくらいですから、きっと長い時間、どんどん高く積もっているんじゃないかなと思います。
小山 志門:私もとっても雪が深く降り積もっていると思いました。さらに、静かな家の庭のような場所が想像されました。皆さんはどうでしょうか? 一つ想像したら、さらにそこには誰がいるだろうか、どんな雰囲気のどんな場所なのか、色々想像を広げてみてください。前回の学習を踏まえると、俳句は情景を切り取っているはずなので、言葉を足がかりにしてより具体的にイメージを膨らませて味わうといいですね。
さて、今回のポイントは「言葉にこだわる」です。本作品の「いくたびも」という言葉に注目してみましょう。「雪の深さを尋ね」ているのですが、「いくたびも」という言葉からどんなことが読み取れるでしょうか?
木本 景子:何度も尋ねるわけですから、雪に対して強い関心を持っているような感じがします。
小山 志門:そうですよね。さらに、雪がパラパラ降り始めた場面ではなく、しんしんと降り続いている時間の経過が感じられませんか? 作品に登場する人物が「ねぇ、どれだけ積もった?」とそばにいる誰かに尋ねます。またしばらくして「今はどのくらい積もった?」と尋ねるのです。「いくたびも」ですから二回や三回ではないような気もします。それくらい雪に強い関心を持っていることが想像されます。さらにこの俳句の場面は、一体どれくらいの時間が経過しているのでしょうか? だいぶ降り積もっていそうな気がしますよね。わずか十七音の中に、長い時間の経過を感じることもできるんです。
木本 景子:十七音の表現でそんな深いところまでも分かってしまうんですね。でも先生、どうして「いくたびも」尋ねているんでしょうか?
小山 志門:そうですよね。その点については、この人は雪の深さを自分で見て確認できないんです。雪が降っているのは分かっていても、どれくらい積もっているかは自分では見られない。そんな状況ってどういう場面なんでしょうか。情景を想像し、それを組み立てながら俳句に込められた心情を味わうのも一つの楽しみです。ちなみにこの俳句の作者に注目してください。正岡 子規 です。
木本 景子:あ、以前に「藤の花」の短歌を読みましたね。
小山 志門:そうでしたよね。その短歌の中で 正岡 子規 は病床から藤の花を見上げていました。そんな子規の状況を当てはめると、この俳句に込められた心情が少し想像できるのではないでしょうか。
木本 景子:そうすると、自分では外を見ることができないので、誰かに何度も聞いているんですね。
小山 志門:そうだと思います。皆さんは雪が降ったらどんな気持ちになりますか? 私は子供の頃、雪国ではないところで育ったので、少しでも雪が降ったらワクワクしたのを覚えています。何度も窓の外を見て積もらないかなと期待した気持ちも思い出します。この俳句からは、そんな無邪気な子供っぽさも感じられます。さらに想像をすると、子規は病床にあって布団から起き上がることができなかったんですよね。もしかしたら、起き上がれないけれど、寝床から窓越しに降り続いている雪は見えていたかもしれません。降る雪にワクワクしながらも、でも積もっている様子は見られないんです。見られないからこそ、より一層見たくなる。見られない境遇をもどかしく感じる。病気が治って直接雪に触れることを願いながら、それが叶うのかなという不安もある。「いくたびも」という言葉を足がかりにして、子規のいろんな気持ちを想像できるといいですね。
木本 景子:「作品の背景を知る」。
小山 志門:短歌でも学習しましたが、作者自身のことや作品の背景を調べてみるというのも俳句の味わいを深めます。では次の俳句です。
(朗読)
しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地 名取 里美
木本 景子:先生、「爆心地」って何でしょうか?
小山 志門:「爆心地」と日本で用いる時は、第二次世界大戦で長崎に投下された原子爆弾が爆発した中心地のことを指します。この俳句は、そんな長崎の爆心地に立った作者が詠んだ俳句です。俳句には「爆心地」という言葉の他には、戦争や辛い出来事を直接表す言葉はありませんね。ただ、直接的に悲惨な過去を訴えたり、反戦の意を強調したりという俳句ではなさそうです。一体どのような思いが込められているのでしょうか?
まず、この作品に登場しているもので注目されるのは「秋蝶」です。春や暖かい時期に飛ぶ蝶ではなく、秋の蝶ですか?
木本 景子:そうなんです。蝶々と言ったら木本さんと同じようにイメージされる方が多いと思いますが、この作品に出てくるのは「秋蝶」なんです。秋に弱々しく飛ぶ蝶々。冬にはいなくなってしまいます。そんな「秋蝶」に、爆心地に立った作者が感じているはかなく悲しく切ない気持ちが読み取れます。さらに、「空」と「蝶」に注目して読み進めてみると、何かイメージできる世界が広がりませんか? 作者の視線を意識してみてください。一匹の秋蝶を目で追い、仰ぐと何が見えたんでしょう?
木本 景子:空を仰ぐとなると、秋の空でしょうか?
小山 志門:そうです。秋の空は「天高く馬肥ゆる秋」という言葉もあります。青く澄んださわやかな空です。蝶を追い、空を見上げると澄み切った青い空だった。爆心地に立ち、戦争や原子爆弾の辛い過去に思いをはせながら空を見上げると、過去の出来事もすっかり忘れてしまいそうな澄み切った秋晴れなんです。言葉にならない悲しい出来事に思いを巡らせているのですが、今を生きている私たちは自然の美しさに感動したり、平和な世の中であることを実感するんです。平和な世の中で自然の美しい景色を見ると、過去の出来事を忘れてしまいそうです。
爆心地に立ち、戦争や原子爆弾の辛い過去に思いをはせていたのですが、見上げると澄み切った秋晴れなんです。言葉にならない悲しみを感じつつ、過去の出来事に思いを寄せているようです。そんな平和の中で、作者は「しばらくは」という言葉で俳句をスタートしていました。しばらくは何々していよう、という言葉ってどんな風に使えますか?
木本 景子:普段と違う行動をする時や、時間を取ってゆっくりしたい時に使いますね。
小山 志門:その通りです。普段と違って、せめてここにいる間は何々しようという気持ちが読み取れます。平和な日常で生きている私たちは、過去の出来事を忘れがちです。でも、いつもと違って「爆心地」に立っている間は、平和な環境に感謝をしつつ、過去の出来事に身を寄せて、平和を願おうとしているではないでしょうか。
木本 景子:「俳句の面白さを知る」。
小山 志門:二回に渡って学習してきた俳句のポイントも最後です。次の俳句です。
(朗読)
こんなにうまい水があふれてゐる 種田 山頭火
木本 景子:これは今まで学習してきた俳句とは少し雰囲気が違いますよね。どんな違いに気づきますか? 俳句は五・七・五のはずですが、五・七・五では区切れないですね。
小山 志門:そうですよね。そもそも区切ること自体が難しいですよね。文節で分けることはできても、やはり五・七・五にはなりません。この俳句は「自由律俳句」と呼ばれるものです。俳句は五・七・五の音数で、「切れ」や「季語」を用いるなどの形式がある韻文だったわけですが、そういう形式を取っ払った自由な俳句があるんです。決まった形式の中に一瞬の情景を切り取ったり感情を込める潔さも俳句の楽しみですが、決まったものを取っ払ったり、それを打ち破ることもまた、人間の願望の一つかもしれません。
木本 景子:なるほど。そういう自由な表現方法があるんですね。
小山 志門:今回の作者、種田 山頭火 は自由律俳句の代表的な俳人です。名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。「分け入っても分け入っても青い山」なども、句として聞いたことがあるのではないでしょうか。
さて、「こんなにうまい水があふれてゐる」。ここからどんな状況や情景を読み取りますか?
木本 景子:水がとっても美味しいという熱い感動が伝わってきます。
小山 志門:はい。その通りですね。「うまい水」ではなく「こんなに」うまい水と、「こんなに」つけるだけでどれほど美味しかったんだろうかと思わされますよね。さらに後半の表現は、うまい水だなとか、うまい水がある、ではなく「あふれてゐる」とありました。「あふれてゐる」と書かれると、作者がどんな場所でそのうまい水に出会ったのかもイメージができますよね。
木本 景子:はい。とっても喉が乾いている状態で、自然の湧き水に出会ったのかなと思いました。
小山 志門:そうですよね。作者は放浪し、各地を旅して歩きながら俳句を作った人です。よっぽど喉が乾いた状態でカラカラになった時に見つけた小川や湧き水。人影もないような自然の中で飲む冷たい水はどれほど美味しいんでしょうか。皆さん、真夏の日差しに照り付けられた時を思い出してください。
木本 景子:暑い中でたくさん汗をかいた後に冷たい水を飲むと、染み渡って美味しいですよね。
小山 志門:本当にそうですよね。私は幼い頃走り回って遊んで、なんでもない水道の水が何とも言えず美味しかった記憶があります。ただの水を無心で飲み続ける幸せ。皆さん、山頭火 の「こんなにうまい水」がどんなおいしさだったのか、想像して楽しんでください。種田 山頭火 は現代の人々にも受け入れられています。それは自由な作風もそうですが、独特の音の響きであったり、作品のつぶやきのような雰囲気が、現代のSNSにも見られるようなつぶやき感があるからかもしれませんね。
木本 景子:さて、今回の講座のポイントをまとめておきましょう。学習のポイントは、
〈一〉言葉にこだわる
〈二〉作品の背景を知る
〈三〉俳句の面白さを知る
この三つでした。
小山 志門:いかがでしたか?前回に引き続き「俳句」の読み方を学習しました。「短歌」も含めると四回に渡って学びましたね。声に出して読み、そこに描かれた情景や心情を想像豊かに味わってください。それでは今回学習した俳句の朗読をもう一度聞いてください。
(朗読)
いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡 子規
しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地 名取 里美
こんなにうまい水があふれてゐる 種田 山頭火
木本 景子:さて、今回は「雪の深さを〈俳句〉」を学習しました。小山 先生、ありがとうございました。
小山 志門:ありがとうございました。
木本 景子:NHK 高校講座「言語文化」、木本 景子 と 小山 志門 先生でお送りしました。