だい33しょう しんそうこうぞうひょうそうこうぞう

こうこうぞうそくたんじゅんほうがいいのか

チョムスキーは、こうこうぞうそくはできるだけかんたんほうがいいのだとかんがえました。(喬姆斯基認為句構造規則越簡單越好。)そもそもこうこうぞうそくというのは、あるげんがもつぶんこうぞうという、ぶんぽうにとってはもっとじゅうようようけっていする、そのげんこんかんかたちづくるそくなのだから、できるだけシンプルでなければならないというのが、一ばんきなゆうです。(句構造規則本來就是決定某種語言句子結構這一語法中最重要的要素,在這個意義上形成了語言的根本,因此必須盡可能簡潔,這是最重要的原因。)

たしかに、げんがくとはすこちがいますが、けいけんてきなデータをもとに、うんどうちからなどのぜんげんしょうはいするほうそくかいめいすることをもくてきとするぶつがくでは、ばんゆういんりょくほうそくうんどうりょうぞんほうそくなど、おどろくほどかんたんすうしきあらわされるほうそくが、じっさい使つかわれています。(雖然略有不同於語言學,但在以經驗數據為基礎、以闡明支配運動和力等自然現象的規律為目的的物理學中,萬有引力定律和動量守恆定律等令人驚嘆的簡潔數學公式法則實際上被使用著。)だとすると、げんがくというのも、ひと分ののう使つかってつくす、コトバというげんしょうはいするほうそくかいめいすることをもくてきとするがくもんなのですから、コトバについてのほうそくも、できるだけたんじゅんかたちあらわされるはずだというのは、それほどちがったしんねんでもないようにおもえます。(那麼,語言學也是以闡明人類用自己的大腦創造出來的語言這一現象所支配的規律為目的的學問,因此有關語言的規律也應該用盡可能簡單的形式來表述,這似乎也不是非常荒謬的信念。)

こうこうぞうそくかんたんなはずだということについてのもう一つのゆうは、これはせいせいぶんぽうれきでも、もうすこのちになってはっきりとしたかたちしゅちょうされるようになるのですが、こうこうぞうそくがあまりにふくざつだと、ひとどもたんかんをマスターすることなどできないだろうということです。(關於句構造規則應該簡單這一點的另一個原因是,這在生成語法的歷史中也會在稍後以更明確的形式被主張,即如果句構造規則過於複雜,人類兒童不可能在短期內掌握母語。)

ひとどもは、たいたいさいくらいまでには一おうちゃんとぶんつくることができるようになります。(人類兒童大約到五歲為止就能夠相當熟練地造句。)もちろん、さいくらいだと、使つかえるたんかずそうとうかぎられていますし、はつおんもまだせつだったりすることもよくあります。(當然,五歲左右的孩子所能使用的詞彙數量相當有限,發音也往往還很幼稚。)ほんかきことであれば、かんもこれからがくしゅうしなければなりません。(就日語的書面語而言,還需要今後學習漢字。)ほんじょうおおきなぶんかんなのですから、ほんじゅうぶんかたち使つかいこなすためにかんしきようきゅうされることにちがいはありません。(由於日語詞彙中漢語所佔比例非常大,所以要充分掌握日語就必然需要漢字知識。)

ですから、さいくらいでじゅうぶんしゅうとくできているということは、まずありえないでしょう。(因此,五歲左右就能充分掌握母語基本上是不可能的。)あくまでも、おぼえたたんがどんなでどんなひんぞくしていて、どんなぶんぽうてきはたらきをもち、それらのたんこうこうぞうそくしたがってならべることで、ぶんぽうてきちがいのないレベルのぶんつくすことができるというだんかいが、さいようがもっている使つかいこなすのうりょくだとかんがえなければなりません。(而是說,已掌握的單詞具有什麼意思、屬於什麼詞性、具有什麼語法功能,通過按照句構造規則排列這些單詞,能夠造出語法上無誤的句子這一階段,才是五歲幼兒所具有的母語運用能力。)

そのていのうりょくかくとくするのにねんくらいがひつようだとすると、はたたしてこれがながいのかみじかいのか、はんだんがつきにくいようにもおもえるのですが、チョムスキーはこれをおどろくほどみじかいとかんがえたようです。(要獲得這種程度的能力需要大約五年時間,但是很難判斷這究竟是長還是短,不過喬姆斯基似乎認為這短得令人驚訝。)どうしてそうかんがえたのか、そのあたりのせつめいがないのでよくかりません。(不知道他為什麼這樣認為,沒有相關的說明。)とにかく、ひとどもてきのうりょくにつけるのにねんというみじかかんしかひつようとしないのだとすると、こうこうぞうそくもできるだけたんじゅんかたちをしていなければならないはずだということになります。(總之,如果人類兒童只需要五年這麼短的時間就能掌握母語的基本能力,那麼句構造規則也應該具有盡可能簡單的形式。)

はあ、そういうもんですか、としかいようがないなあというかんじです。(唉,只能說"原來是這樣啊"的感覺。)たしかに、㉙のようなこうこうぞうそくは、ぶんとうもんているあいしか使つかえないそくなので、あまり一ぱんせいはありません。(確實,像㉙這樣的句構造規則只有在疑問詞出現在句首時才能使用,所以普遍性不高。)がくもんついきゅうする、ひとぜんかかわるげんしょうほんしつかいめいしたけっられたそくは、できるだけたんじゅんで、しかも一ぱんせいがあったほうたかをもつとかんがえられますから、一ぱんせいのないこうこうぞうそくは、ないにしたことはありません。(學問追求闡明與人類和自然相關現象本質而得到的規則應該盡可能簡單且具有普遍性,因此沒有普遍性的句構造規則最好不存在。)

ただ、えいではじっさいに、もんしゅであるあいはもちろん、どうもくてきだったとしてもかならぶんとうるようになっているのですから、じっさい使つかわれたれい使つかわれるのうせいのあるれいについて、そのこうぞうぶんせきするかぎりは、どうやってもつうぶんとはちがったこうこうぞうそくしたがうものとかんがえなければならないのです。(但是,在英語中實際上,疑問詞無論是主語還是他動詞的賓語,都必然出現在句首,所以在分析實際使用的例子或可能使用的例子的結構時,都不得不認為它遵循與普通句子不同的句構造規則。)

もう一つのもんだいてんは、もん

こうこうぞうそくえる――しんそうこうぞうとうじょう――

ーは、もんぶんあたまにあるようなられるとくべつぶんこうぞうせつめいするのに、いままでせつめいしたのとはぜんぜんちがどうようしました。(喬姆斯基為了說明疑問詞在句子開頭的特殊句子結構,準備了與迄今為止所解釋的完全不同的工具。)そしてまさにこれが、ぜんぶんぽうとうろん)とーのぶんぽうこんぽんてきべつするかんがかたなのです。(而正是這一點,才是將以前的語法(句法論)與喬姆斯基的語法根本區別開來的思想。)

もんぶんあたまにありながら、しゅとしてはたらいているのではないぶんれいとして、さきほどたのとはちがぶんをあげておきましょう。(作為疑問詞在句子開頭但不作為主語的例子,我們來舉一個與之前看到的不同的句子。)

㉚ What does the professor teach at college?(那位教授在大學裡教什麼?)さんしょうげんもどる)

このぶんつくるためには、とくべつこうこうぞうそくひつようになるということと、どうよりもまえにあるのにもくてきだということが、こうぞうただけではうまくせつめいできない、というのがこうこうぞうそくについてのもんだいてんでした。(要構造這個句子需要特殊的短語結構規則,而且雖然出現在動詞之前,卻是賓語這一事實,僅從結構來看無法很好地解釋,這就是短語結構規則的問題所在。)

このもんだいてんかいけつするほうほうとしてーがこうあんしたのは、㉚のようなぶんだったとしても、かいしゃくするには、もんがちゃんとどうあとかれているべつこうぞうかりていしようということでした。(喬姆斯基為了解決這一問題而提出的方法是,即使是像㉚這樣的句子,在解釋意思時,也要假定存在疑問詞恰好置於及物動詞後面的另一種結構。)

㉚について、こうしたもくてきかりていされたこうぞうは、つぎのようなかたちになります(㉛)。(關於㉚,為了達到這一目的而假定的結構形式如下(圖㉛)。)

[図㉛挿入箇所]

このようなこうぞうをもとにぶんかいしゃくするのであれば、ちゃんとどうあとに what(「めい」としてありますが、もちろんせいかくには「もんだいめい」とぶべきところです)が来ていますから、つうへいじょぶんおなじように、このこうぞうで what がどう teaches のもくてきだということがかいできます。(以這樣的結構為基礎來解釋句子的意思的話,由於what(儘管被標記為「名詞」,但應該準確地稱為「疑問代詞」)恰好出現在動詞之後,就像普通陳述句一樣,在這個結構中what是動詞teaches的賓語這一點就能被理解。)

そしてまた、もんぶんあたまに来ていないことから、けいこうこうぞうそくくわえなくても、ほんてきそくだけを使つかってこのこうぞうつくることができます。(而且,由於疑問詞不在句子開頭,即使不添加額外的短語結構規則,也可以只用基本規則構造出這個結構。)というわけで、こうこうぞうそくをできるだけたんじゅんにし、もんどうもくてきだとかいされるていも、へいじょぶんおなむようにしたいというもくてきは、このようなこうぞうかりていすることでかいけつすることができます。(因此,使短語結構規則儘可能簡單,並使疑問詞被理解為動詞賓語的過程也與陳述句的過程相同的目的,可以通過假定這樣的結構來解決。)

㉛のような、もくてきもんがちゃんとどうあとかれているようなぶんも、じつさいえい使つかわれることはあります。(像㉛那樣,賓語疑問詞恰好置於及物動詞後面的句子,在實際英語中也是有使用的。)しかし、使つかわれるのは、だれかが The professor teaches aesthetics at college. (そのそのきょうじゅだいがくがくおしえている) の、aesthetics のぶんだけがれなかったので、そこをもんえてかえしているというような、とくべつじょうけんがあるだけです。(但是,只有在某人沒有聽清The professor teaches aesthetics at college.(那位教授在大學裡教美學)中aesthetics部分,所以將其替換成疑問詞而提出反問這樣特殊情況下才會使用。)ですから、どんなじょうけんでも使つかえる、えいとしていつでもせいしいしいもんぶんは、もんぶんあたまかれているものでかんがえてつかえありません。(因此,在任何條件下都能使用、作為英語總是正確的疑問句,可以認為是疑問詞置於句子開頭的那種。)

だとすると、㉛のようなこうぞうをもったぶんは、えいもんぶんとしては、いっぱんてきじょうきょうでは使つかようされることのない、こうこうぞうそくのみでこうぞうつくるがもたらすもんだいてんかいけつするために、かりていされただけのぶんぎないのだとかんがえなければなりません。(那麼,像㉛這樣結構的句子作為英語疑問句,在一般情況下不會被使用,只是為了解決僅用短語結構規則構造句子所帶來的問題而假定出來的句子罷了,必須這樣認識。)

ーは、このようなこうぞうをもつくうぶんを「しんそうこうぞう」とびました。(喬姆斯基將這樣具有這種結構的虛擬句子稱為「深層結構」。)しんそうこうぞうは、こうこうぞうそくにきちんとしたがったこうぞうをもっているぶんですから、めいしゅなのかもくてきなのかというような、ぶんあらわせいしくしくかいするうえもったいせつな、こうぞうかんするせいしつあらわされています。(深層結構是遵循短語結構規則的結構,因此名詞是主語還是賓語等,對於正確理解句子所表達的意思最為關鍵的、與結構相關的性質都被表現出來了。)ですから、ぶんしんそうこうぞうは、ぶんあらわちょくけつするこうぞうとしてけることができます。(因此,句子的深層結構可以被定位為與句子所表達的意思直接相關的結構。)

ひょうそうこうぞう

いっぽうで、㉚のようなじっさい使つかわれるぶんのことを「ひょうそうこうぞう」とびます。(另一方面,我們把像㉚這樣實際使用的句子稱為「表層結構」。)せいかくえば、ひょうそうこうぞうはまだはつおんされるまえだんかいで、じっさいはつおんされるためには、「おんいんそく」というそくひょうそうこうぞうてきようしなければならないのだとされています。(確切地說,表層結構還是發音之前的階段,要真正發音的話,據說必須對表層結構應用「音韻規則」這樣的規則。)じっさいたんアクセントとかぶんイントネーションとか、そういうはつおんについてのとくちょうあとでまたくわしくめるようなしくみにしておいたほうが、せつめいらくですから、ひょうそうこうぞうじっさいはつおんちがうのだとしておいてもいいのかもしれません。(實際上,因為把單詞的重音、句子的語調等發音特徵放到後面再詳細決定會比較方便,所以說表層結構和實際發音不同也許是可以的。)ただじっさいはつおんがどうなるのかをいちいちこうりょれるのもたいへんなので、だいたいのところは、ひょうそうこうぞうじっさい使つかわれるぶんだとかんがえておくことにします。(但是,因為逐一考慮實際發音會很費事,所以在大體上我們就把表層結構當作實際使用的句子來看待。) しかも、㉚のようなかたちひょうそうこうぞうですよ、とってていされたあい、そこには what とか teach とか professor のようなたいてきな「たん」があらわれています。(而且,當我們說像㉚這樣的形式就是表層結構時,那裡會出現具體的「單詞」,比如what、teach、professor之類的。)たんというのは、げんだいげんがくそうしゃソシュールあきらかにのべたように、「」と「おん」(せいかくにはおんれつ、つまりおんわさったもの)がけつごうしてつくられているたんです。(單詞,就如現代語言學創始人索緒爾所明確指出的那樣,是「意義」和「音」(確切地說是音列,即由聲音組合而成的東西)結合而成的單位。)ソシュールはこれを「ごう」とんだのですが、かたはともかくとして、たん使つかわれただんかいで、おんりょうほうともなっていることは、にんげんコトバほんしつとしてちがいのないところです。(索緒爾把這稱為「符號」,不過不管叫什麼,在單詞被使用的階段,它同時帶有意義和聲音,這是人類語言的本質中確定無疑的地方。) だとすると、ひょうそうこうぞうだんかいで、じっさいはつおんされるかたちとはおなじではないにしても、たんけつようとしてのおんがすでにていされていなければなりません。(既然這樣的話,在表層結構的階段,縱然不是實際發音的形式,作為單詞不可或缺的要素的聲音必須已經呈現出來。)そうすると、ひょうそうこうぞうレベルじつげんされるおんというのが、どんなものなのかということがもんだいになるのですが、せいせいぶんぽうでは、このてんについてどうもはっきりしたところがめられていません。(那麼,表層結構層面上實現的聲音是什麼樣的就成了問題,但生成文法在這一點上似乎沒有明確規定。) げんがくでは、にんげんあたまなかにあるだけの、ちゅうしょうてきおんたんとして「おん」というものをそうていしており、このおんじっさいはつおんされたものを「おんせい」とんでいます。(在語言學中,我們假定存在「音素」這樣一個抽象音的單位,只存在於人的大腦中,而這個音素實際發出的聲音被稱為「音聲」。)ほんの「かん」(かんだ)と「しんぱい」(しんぱい)で、「ん」というひらがなであらわされるおんは、じっさいはつおんでは[n]と[m]というちがったおんなのですが、ほん使つかにんげんあたまなかでは、おなじ「ん」というおんだととらえられています。(在日語的「神田」(かんだ)和「心配」(しんぱい)中,用平假名「ん」表示的音在實際發音時是[n]和[m]這樣不同的音,但日語使用者的大腦中會把它們視為同樣的「ん」這個音。)この「ん」(せんもんてきには /N/ というごうあらわされます。おんは / / でかこんであらわすのがしゅうかんです)が「おん」にたり、[n]や[m]が「おんせい」にたるとかんがえておいてください。(這個「ん」(專業上用/N/這樣的符號表示。音素通常用/ /括起來表示)相當於「音素」,[n]和[m]相當於「音聲」,請這樣理解。) ひょうそうこうぞうが、じっさいはつおんされるまえだんかいあらわすものだとすると、このこうぞうあらわれているたんともなおんというのは、おんのことなのだろうかとかんがえたくなります。(如果表層結構表示實際發音之前的階段,那麼出現在這個結構中伴隨單詞的聲音是指音素嗎,就會讓人想起這樣的疑問。)そうだったらかりやすいのですが、もしひょうそうこうぞうレベルたんたいおうするおんあらわれているのだとすると、おんいんそくというのは、ひょうそうこうぞうにあるおんれつが、じっさいにはどんなおんせいはつおんされるのかをめるそくだということになりますはずです。(這樣就容易理解了,但如果表層結構層面出現了與單詞對應的音素,那麼音韻規則就應該是決定表層結構中的音素序列實際上以什麼樣的音聲發音的規則。) ところがせいせいぶんぽうでは、pick に -ed がいてけいになるとこの -ed は [t] というはつおんだけれども、play に -ed がくとおなじ -ed でも [d] というはつおんになる、などというそくや、will not のしゅくやくけいは won't だというようなそくも、おんいんそくなかふくまれることになっています。(但是在生成文法中,pick加上-ed變成過去式時這個-ed發音是[t],而play加上-ed時同樣的-ed發音是[d]這樣的規則,或者will not的縮約形是won't這樣的規則,也被包含在音韻規則之中。)しかし、こういうげんしょうおんからおんせいへというつながりとは、けっきょくのところかんけいです。(但這樣的現象與音素到音聲的這種關聯最終是無關的。)picked も played も、おんレベルで /pikt/ と /pleid/ になるわけで、そのあとでどういうおんせいとしてじつげんされるのかは、おんいんそくたんとうではありません。(picked和played在音素層面分別變成/pikt/和/pleid/,之後以什麼樣的音聲實現並不是音韻規則的職責。)will not がしゅくやくされて won't になるというげんしょういたっては、これはけいレベルもんだいで、おんともおんせいともちょくせつてきにはかんけいがありません。(至於will not縮約變成won't這樣的現象,這是詞形層面的問題,與音素或音聲都沒有直接關係。) というわけで、いんそくなるものが、しんそうこうぞうからじっさいはつおんいただんかいのどのぶんたいしょうとするのかは、せいせいぶんぽうわくみでせいかくていできているとはえません。(既然這樣,音韻規則這個東西以生成文法的框架能否准確界定其對象是從深層結構到實際發音的哪個階段,就很難說了。)おんいんそくたいしょうげんみつさだまっていないじょうひょうそうこうぞうについても、とくおんがわめんせいしつあきらだとはえません。(既然音韻規則的對象沒有明確界定,對於表層結構,特別是在音的方面的性質也就無法說得清楚。) したがって、ひょうそうこうぞうじっさいはつおんされるぶんとはまだちがっていることはかっても、どのていちがっているのかがはっきりしません。(因此,儘管我們知道表層結構與實際發音的句子還是不同的,但不清楚差異程度有多大。)しかも、しんそうこうぞうとのかんけいひょうそうこうぞうをもってくるあいには、それがじっさい使つかわれるぶんおなじものだとおいても、それほどのしょうがないのがつうです。(「深層結構」和「表層結構」這兩種對同一個句子所假定的不同結構,是生成文法的重要特徵。)しんそうこうぞうせっていしたほうがいいことのゆうは、かえしになりますが、つぎのようなものでした。(設定深層結構的理由雖然重複了,但如下所述。)えいもんを使うもんぶんあいは、たとえもくてきであってもぶんとうかれることから、もくてきならばちゃんとどうないするようなこうぞうていしておいて、そのこうぞうをもとにぶんどうき出すしくみにしておけば、こうぞうそくかんたんにできるし、ぶんとうにあるもんでも、それがもくてきだということをうまくせつめいできる、ということです。(因為英語疑問句中的疑問詞即使是賓語也會被置於句首,所以假定賓語應該正確地位於動詞片語內部的結構,然後基於這種結構推導出句子的含義,這樣就能使短語結構規則變得簡單,而且即使疑問詞在句首,也能很好地說明它是賓語,這就是理由。)えいは、ほんちゅうごくなどと違って、もんぶんとうくことがまりになっているげんであり、もんを使うもんぶんたかひんで使われることもたしかですから、こういうもんぶんについてのもんだいかいけつできそうなしくみがていできるのだとすれば、それはそれでのあることです。(英語與日語和中文不同,已成為定規將疑問詞置於句首,使用疑問詞的疑問句也確實以高頻率使用,所以如果能提出一套機制來解決這類疑問句的問題,那本身就是有意義的。)

しかし、もんぶんとうにあるもんぶんこうぞうについてのもんだいがうまくせつめいできそうだというだけでは、やはりわざわざ二つのこうぞうていするせっきょく的なてんがあるとはかんがえにくいところがあります。(但是,只能說疑問詞在句首的疑問句的意義和結構問題能得到很好的解釋,還不足以認為假定兩種結構有積極的優點。)

もちろん、チョムスキーは、べつれいようしていました。(當然,喬姆斯基準備了其他例子。)以下に、いくつかあげてみましょう。(下面我們舉幾個例子。)まずは、のうどうたいじゅどうたいが同じだというげんしょうです。(首先是主動態和被動態意義相同的現象。)つぎれいを見てください。(請看下面的例子。)

㉜ a. Tom built the house. (トムはそのいえたてた) (さんしょうもともどる)(湯姆建造了那棟房子。)
b. The house was built by Tom. (そのいえトムによってたてられた)(那棟房子是由湯姆建造的。)

このれいで a. のほうは「のうどうたい」のぶん、b. のほうは「じゅどうたい」のぶんと言われます。(在這個例子中,a. 被稱為「主動態」句子,b. 被稱為「被動態」句子。)れいぶんほんやくを見ても分かるように、のうどうたいぶんで使われるどうは built や「たてた」のようにかたちたんじゅんですが、じゅどうたいで使われるどうは、was built や「たてられた」のように、えいでもほんでも、「じょどう」にぶんるいされるたん (was と「られ」) をともなっていて、のうどうたいあいよりもかたちは少しふくざつになっています。(從例句的日語翻譯也可以看出,主動態句子中使用的動詞是「built」和「建てた」這樣形式簡單,而被動態中使用的動詞是「was built」和「建てられた」這樣在英語和日語中都帶有被分類為「助動詞」的單詞(was和「られ」),形式比主動態複雜一些。)

いっぱんてきに言うと、あるモノ A とべつのモノ B のあいだかんけいがあることがみとめられて、A が B にたいしてぶつてきちからを及ぼしたり、A が B をへんさせたりするようなげんしょうが起こったあい、A をしゅ、B をもくてきとして選んで、そういうげんしょうを表すどうつくられることがよくあります。(一般來說,當被認可A和B之間存在某種關係,且A對B施加物理力量或A使B發生變化時,經常會選擇A作主語、B作賓語,並創造出表示這種現象的動詞。)えいの build, make, kill, push、ほんの「たてる」「作る」「ころす」「す」などのどうがそういうれいです。(英語的build、make、kill、push和日語的「建てる」「作る」「殺す」「押す」等動詞就是這類例子。)

こういうどうがそのままのたんじゅんかたちで使われて、A をしゅ、B をもくてきとするぶんつくられた時、そのぶんを「のうどうたい」のぶんと言います。(當這樣的動詞保持原有簡單的形式被使用,並構成A為主語、B為賓語的句子時,這樣的句子稱為「主動態」句子。)これにたいして、A ではなくて B をしゅにしたいあいは、どうをそのままのかたちにしておくわけにはいきません。(相反,當想要B而不是A作為主語時,不能保持動詞原有的形式。)そのままだと A がしゅにならなければならないからです。(因為保持原樣的話,A必然成為主語。)この時には、どうじょどうのようなべつたんをつけて、もとのままとはしゅもくてきが違うのだということを表さなければなりません。(此時必須在動詞上附加助動詞之類的其他詞語,以表示主語和賓語與原來的不同。)このような、少しふくざつかたちどうが使われたぶんを「じゅどうたい」のぶんと言います。(這樣使用形式稍複雜的動詞的句子稱為「被動態」句子。)

さて、㉜ののうどうたいじゅどうたいぶんを比べてみると、しゅである「トム」ともくてきである「そのいえ」とのあいだには、しゅにんげんもくてきのモノをつくり出したというかんけいがあるというてんではきょうつうです。(現在讓我們比較㉜中的主動態和被動態句子,作為主語的「湯姆」與作為賓語的「那棟房子」之間在主語的人建造了賓語的東西這一點上是相同的。)ぶんとしては違っていても、その中にふくまれる二つのめいが表すモノのあいだにあるかんけいが同じなのだから、それはが同じだということなのだとチョムスキーかんがえました。(儘管句子形式不同,但由於其中包含的兩個名詞所表示事物之間的關係相同,喬姆斯基認為這就意味著意義相同。)

じつさいのところは、ぶんしゅが違うのですから、ぼくかんがえてもこれら二つのぶんが表すたんじゅんに同じだということにはならないはずです。(實際上,由於句子的主語不同,即使素樸地思考,這兩個句子所表達的意義也不應該簡單地相同。)それに、使われているどうきょうつうだとはいえ、一方にはじょどうがついているのにもう一方にはついておらず、じょどうにもちゃんとしたがあるのですから、どうかんがえてみてもが同じだということにはならないはずです。(而且,儘管使用的動詞相同,但一方帶有助動詞而另一方沒有,而助動詞本身具有確切的含義,所以從動詞的角度來看,意義應該也不相同。)

例えば、A というにんから B というにんに X というモノがうつどうしたあいほんで A をしゅにするなら「A は B に X をやった」というぶんになるでしょうし、B をしゅにするならば「B は A から X をもらった」というぶんになるでしょう。(例如,如果A人和B人之間發生

深層構造しんそうこうぞうにまつわる論理的問題ろんりてきもんだい

(與深層結構相關的邏輯問題) 能動態のうどうたい受動態じゅどうたいのように、あらわ意味いみが同じだと認定にんていされる二つのぶん観察かんさつされる場合ばあい、どうして意味いみが同じなのかを説明せつめいする方法ほうほうとして、深層構造しんそうこうぞうが同じだからだと主張しゅちょうすることには、じつおおきな論理的問題ろんりてきもんだいがあります。(像主動態和被動態那樣,當觀察到表示意思相同的兩個句子時,作為解釋為什麼意思相同的方法,主張是因為深層結構相同,實際上存在著很大的邏輯問題。) 実際じっさい使つかわれるぶんとしての表層構造ひょうそうこうぞうではなく、句構造規則くこうぞうきそくただしくしたがってつくられ、主語しゅご目的語もくてきごも、それにふさわしい位置いちしめている深層構造しんそうこうぞうから意味いみみちびすというのが、この時期じき生成文法せいせいぶんぽう基本的きほんてき前提ぜんていです。(這一時期生成文法的基本前提是,不是從實際使用的句子的表層結構,而是從正確遵循句結構規則而建立的、主語和賓語也佔據相應位置的深層結構來推導意義。)この前提ぜんていについては、ここでは問題もんだいにしないことにしておきます。(關於這個前提,我們在這裡決定不提出異議。) 深層構造しんそうこうぞうから意味いみみちびかれるのであれば、ことなった深層構造しんそうこうぞうに同じ意味いみ対応たいおうするようなことがないかぎり(生成文法せいせいぶんぽうでは、こういう問題もんだいについては検討けんとうされることがないので、多分たぶんないのだろうとおもいます)、意味いみが同じであることと、深層構造しんそうこうぞうが同じであることは、まったひとしいということになります。(如果從深層結構推導出意義,那麼只要不存在不同的深層結構對應相同意義的情況(在生成文法中,這類問題沒有被檢討過,所以可能根本不存在),意義相同和深層結構相同就完全是一回事了。)べつい方をすれば、表層構造ひょうそうこうぞうことなる二つのぶんについて、意味いみ同一性どういつせい深層構造しんそうこうぞう同一性どういつせいは、論理的ろんりてき同値どうちだということです。(換句話說,對於表層結構不同的兩個句子,意義的同一性和深層結構的同一性在邏輯上是等價的。) ですから、能動文のうどうぶん受動文じゅどうぶん意味いみが同じであることと、両者りょうしゃ深層構造しんそうこうぞうが同じであることも、論理的ろんりてきにはひとしいことになります。(因此,主動文和被動文意義相同,以及兩者深層結構相同,在邏輯上也是相等的。)ところが深層構造しんそうこうぞうはあくまでも生成文法理論せいせいぶんぽうりろんの中で仮定かていていあんていされているだけの構造こうぞうなので、実際じっさいには決して観察かんさつされることはありません。(但是深層結構畢竟只是在生成文法理論中假設的結構,實際上永遠不會被觀察到。)だとすると、二つのぶん深層構造しんそうこうぞうが同じだから両者りょうしゃ意味いみが同じだということを、事実じじつもとづいて検証けんしょうすることは絶対ぜったいにできません。(那麼,要以事實為基礎來驗證兩個句子的深層結構相同因此意義相同,是絕對不可能的。) つまり、二つのことなったぶん意味いみが同じだということを、深層構造しんそうこうぞうが同じだという「事実じじつ」によって説明せつめいすることは、生成文法理論せいせいぶんぽうりろん枠内わくないでは不可能ふかのうなのです。(也就是說,用深層結構相同這一「事實」來解釋兩個不同句子意義相同,在生成文法理論的框架內是不可能的。)だとすると、二つのぶん意味いみが同じだということを説明せつめいする手段しゅだんは、「母語話者ぼごわしゃ直観ちょくかん」以外にはないことになります。(那麼,解釋兩個句子意義相同的手段就只能是「母語使用者的直覺」了。)ようするに、二つのぶんを見たり聞いたりして、その言語げんご話者わしゃであれば、同じなのかちがうのかは直観ちょくかんによって分かるのであって、それを信頼しんらいすればよいのだということです。(總之,看到或聽到兩個句子時,只要是該語言的使用者,就能通過直覺判斷它們是相同還是不同,並且應該相信這種直覺。) これを論理的ろんりてき観点かんてんからとらなおしてみると、二つのことなったぶん意味いみが同じだということはあらかじめ前提ぜんていとしてあたえられていて、その前提ぜんていと、意味いみひとしいことと深層構造しんそうこうぞうひとしいことは論理的ろんりてきひとしいという、生成文法理論内部せいせいぶんぽうりろんないぶ公準こうじゅんのようなものにもとづいて、二つのぶん深層構造しんそうこうぞうひとしいことがみちびされることになります。(從邏輯角度重新審視,兩個不同句子意義相同這一點被預先作為前提給定,基於前提和意義相等與深層結構相等在邏輯上等價這樣的、生成文法理論內部類似的公理,導出了兩個句子深層結構相等。)ですから結局けっきょくのところ、能動態のうどうたい受動態じゅどうたいぶんあらわ意味いみが「なぜ」ひとしいのか、ということは生成文法せいせいぶんぽう枠内わくないではどうやっても説明せつめいできないのです。(因此,到底為什麼主動態和被動態句子表示的意義相等,這個問題在生成文法的框架內無論如何都解釋不了。) だからこそ、生成文法せいせいぶんぽうでは母語話者ぼごわしゃ直観ちょくかんによる判断はんだんをデータとして重視じゅうしするわけです。(正因為如此,生成文法才把母語使用者的直覺判斷作為數據重視。)直観ちょくかんをそのまま信用しんようしていいのかということについては、生成文法せいせいぶんぽう内外ないがい議論ぎろんがありますし、本書ほんしょでもだい1しょうれておきました。(關於是否可以直接相信直覺,生成文法內外都有討論,本書在第1章也涉及了。)しかし、母語話者ぼごわしゃ直観ちょくかんによる判断はんだんをそのままただしいものとれたとしても、二つのぶんあらわ意味いみがどうして同じなのかを、だれもが観察かんさつできる客観的きゃっかんてき事実じじつもとづいて説明せつめいすることは、深層構造しんそうこうぞうがどういうかたちになろうが、生成文法せいせいぶんぽう使つかって説明せつめいすることは永遠えいえん不可能ふかのうです。(但是,即使完全接受母語使用者的直覺判斷是正確的,用任何人都能觀察到的客觀事實來解釋兩個句子表示的意義為什麼相同,無論深層結構是什麼形式,用生成文法進行解釋永遠是不可能的。) 深層構造しんそうこうぞうというレベルは、あと生成文法せいせいぶんぽうではなくなってしまうのですが、こういうまぼろしのような深層構造しんそうこうぞうという実体じったいは、じつは二つのぶん意味いみが同じだということを説明せつめいするための道具どうぐとしては、最初さいしょから無力むりょくであったのです。(雖然深層結構的層級在後來的生成文法中消失了,但這樣一種幻影般的深層結構這個實體,實際上作為解釋兩個句子意義相同的工具,從一開始就是無力的。)深層構造しんそうこうぞうというレベルがあろうがなかろうが、ぶん意味いみが同じかちがうかということは、最初さいしょからかっていなければならないのですから。(無論是否存在深層結構的層級,句子的意義是否相同,從一開始就必須知道。) 本当ほんとうのところは、実際じっさい観察かんさつされるぶん表層構造ひょうそうこうぞう)を出発点しゅっぱつてんにして、そこから深層構造しんそうこうぞう一義的いちぎてきみちび規則きそく提示ていじした方がよかったのではないかとおもいます。(實際上,應該以實際觀察到的句子(表層結構)為出發點,從中提示能夠唯一地推導出深層結構的規則,這樣不是更好嗎?)ただし、その規則きそくの中には、観察かんさつされるぶん意味いみかかわる要素ようそが入っていてはなりません。(但是,該規則中不應該包含與觀察到的句子的意義相關的要素。)そして、能動態のうどうたい受動態じゅどうたいのようにことなったぶんであっても、その規則きそくしたがえば深層構造しんそうこうぞうは同じになり、だから意味いみが同じなのだ、という手続てじゅきで説明せつめいがなされるのであれば、論理的ろんりてきには何の問題もんだいもないはずです。(而且,如果即使是像主動態和被動態那樣不同的句子,按照該規則深層結構就會相同,因此意義也相同,按照這樣的程序進行解釋的話,在邏輯上應該沒有任何問題。)意味いみとは無関係むかんけい深層構造しんそうこうぞうみちびされ、その深層構造しんそうこうぞう同一性どういつせいを見ることで意味いみ同一性どういつせい説明せつめいするのですから、直観ちょくかんたよ必要ひつようもありません。(由於深層結構是獨立於意義而推導出來的,通過觀察深層結構的同一性來解釋意義的同一性,所以也就不需要依賴直覺了。) ことなったぶん意味いみが同じだということを説明せつめいする方法ほうほうとして、こちらの方がずっと論理的ろんりてきだとおもうのですが、生成文法せいせいぶんぽうではなぜかこの方法ほうほう採用さいようされたことはありません。(作為解釋不同句子意義相同的方法,我認為這種方法邏輯上要清晰得多,但生成文法為什麼沒有採用這種方法。)チョムスキーちょむすきーは、生成文法せいせいぶんぽう以前の言語学げんごがくというのは、事実じじつ観察かんさつ分類ぶんるいするだけの分析ぶんせきしか行わなかったので、「記述的妥当性きじゅつてきだとうせい」をたしていただけだと言いました。(喬姆斯基說,生成文法之前的語言學只進行了觀察和分類事實的分析,只滿足了「描述的充分性」。)そして、自分じぶん提唱ていしょうする生成文法せいせいぶんぽうは、事実じじつがどうしてそうなっているのかを、科学的かがくてき方法ほうほうもちいて説明せつめいするちからがあるから、「説明的妥当性せつめいてきだとうせい」までたしているのだと主張しゅちょうしています。(並且他主張他所提倡的生成文法具有用科學方法解釋事實為什麼如此的能力,因此滿足了「解釋的充分性」。)けれども、二つのぶん意味いみが同じだということを論理的ろんりてき説明せつめいできないような枠組わくぐみが、たして説明的妥当性せつめいてきだとうせい本当ほんとうたしているのかどうか、科学かがく方法ほうほうただしくしたがっているのかどうか、やはり疑問ぎもんかんじるところです。(然而,一個無法邏輯地解釋兩個句子意義相同的框架,是否真的滿足了「解釋的充分性」,是否正確遵循了科學的方法,我還是感到疑惑。)

しんそうこうぞうひょうそうこうぞうむすびつける――へんけいそく――

のうどうぶんじゅどうぶんしんそうこうぞうおなじで、じゅどうぶんしんそうこうぞうのうどうぶんのようなこうぞうをもっているというていれるとしましょう。(讓我們假設主動句和被動句的深層結構相同,且被動句的深層結構具有類似主動句的結構。)このていただしいとすると、それではのうどうぶんおなじようなしんそうこうぞうと、じつさい使つかわれるぶんちかひょうそうこうぞうは、どうやってむすびつけられるのかということがもんだいになります。(那麼問題就出現了:具有與主動句相同的深層結構的句子,與實際使用的、接近表層結構的句子是如何連接起來的呢?) もっといっぱんてきえば、にんぶんについてしんそうこうぞうひょうそうこうぞうべつがあるのだけれども、しんそうこうぞうこうぞうそくしたがってつくられることは、ていによってあらかじめかっています。(更一般地說,對於任何句子都存在深層結構和表層結構的區別,但根據假定,我們已經預先知道深層結構是按照短語結構規則製定的。)それでは、ひょうそうこうぞうの方はどうやってつくられるのかということを、きちんとめておかなければならないということです。(那麼,我們必須明確規定表層結構是如何製定的。) せいせいぶんぽうでは、しんそうこうぞうに「へんけいそく」というそくてきようされて、ひょうそうこうぞうができあがることになっています。(在生成文法中,深層結構上應用「轉換規則」,就會產生表層結構。)いまあつかっているれいえば、のうどうぶんおなしんそうこうぞうたいして、「じゅどうへんけい」というへんけいそくてきようされて、じゅどうぶんおなけいをしたひょうそうこうぞうみちびかれるわけです。(以我們現在處理的例子來說,對於與主動句相同的深層結構,應用「被動轉換」規則,就推導出與被動句相同形式的表層結構。)これをせいせいぶんぽうでは、あるこうぞうなんらかのそくてきようすることで、べつこうぞうつくられることから、「せいせいされる」というかたをします。(在生成文法中,因為通過對某一結構應用某種規則可以產生另一結構,所以用「生成」這個說法。)せいせいぶんぽう」(generative grammar) というようは、ここからているともえるのですが、せいせいぶんぽうけんきゅうしゃたちは、にんかんただしいぶんす (generate) のうりょくけんきゅうすることをもくてきとするげんろんだから、「せいせいぶんぽうというまえなのだとせつめいすることがおおいようです。(「生成文法」這一術語確實源於此,但生成文法的研究者通常解釋說,因為它是以研究人類產生(generate)正確句子的能力為目標的語言理論,所以被稱為「生成」文法。) いずれにしても、しんそうこうぞうへんけいそくてきようされて、ひょうそうこうぞうせいせいされるというしくみが、ひょうじゅんろんていしょうするぶんぽうほんてきわくみです。(無論如何,深層結構上應用轉換規則產生表層結構的機制是標準理論所倡導的語法的基本框架。)ひょうじゅんろんだいには、このへんけいそくじょうじゅうようくらいめていたので、「せいせいぶんぽう」ではなくて「へんけいぶんぽう」(transformational grammar) とばれるのがつうでした。(在標準理論時代,因為這種轉換規則占據非常重要的地位,所以通常被稱為「轉換文法」(transformational grammar) 而不是「生成文法」。) ぶんこうぞうつくほんてきそくとしてのこうぞうそくつくす(せいせいする)のは、じつさい使つかわれるぶんひょうそうこうぞう)ではなくて、みちびすためのしんそうこうぞうなのに、げんがくぶんせきすることができるたいしょうひょうそうこうぞうです。(作為製定文句構造的基本規則,短語結構規則生成的不是實際使用的句子(表層結構),而是用來推導意義的深層結構,然而語言學能夠分析的對象卻是表層結構。)したがって、かんさつされるげんじつとしてのひょうそうこうぞうを、たんていされているだけのしんそうこうぞうにきちんとたいおうさせるためのそくは、せいせいぶんぽうあきらかにしようとしているコトバのせいしつごうてきだということをしょうするためには、どうしてもひつようなものです。(因此,為了確保觀察到的語言事實即表層結構與單純假定的深層結構之間有適當的對應關係,生成文法要闡明言語性質合理性時所需的規則是必不可少的。)このことから、みちびこうぞうとしてじゅうようやくわりあたえられていたしんそうこうぞうたいしててきようされるへんけいそくは、ひょうじゅんろんでは、とくにそのしょにおいては、おおきなくらいめていました。(因此,應用於被賦予作為推導意義結構重要角色的深層結構的轉換規則,在標準理論中,特別是在其初期階段,佔據了重要的地位。) したがって、このへんけいそくげんみつかたちていしておくことに、せいせいぶんぽうたちのだいかんしんはらわれることになります。(因此,對這種轉換規則進行嚴密的規定吸引了生成文法學家的大量關注。)れいえば、じゅどうへんけいそくは、つぎのようなかたちあたえられました(㉝)。(例如,被動轉換規則是以如下形式給出的(圖㉝)。)

[図㉝挿入箇所]

これだけをると、何となくむずかしげなかんじもします。(只看這個,似乎有點難懂。)こうぞうじゅつ」というのは、へんけいそくてきようされるまえこうぞう、「こうぞうへん」は、そのそくてきようされたけっできあがるこうぞうのことです。(「結構記述」是指轉換規則應用前的結構,「結構變化」是指應用該規則後產生的結構。)ですから、けっきょくのところは、こうぞうじゅつなかあらわれるたんばんごうけて、それらがへんけいそくてきようされたけっどういうじゅんばんならぶのか、そしてけいわったりするあいにはどうなるのかをあらわしただけです。(儘管這樣做可以使關於結構的規則變得清晰,這也是沒有辦法的地方,但既然被稱為「音韻」,我認為應該只以與音相關的部分為對象。)じゅどうたいぶんについて、しんそうこうぞうからひょうそうこうぞう、そしてじっさいはつおんされるぶんいたるまでのていつぎのページにまとめておきます(㉞)。(關於被動語態的句子,我將從深層結構到表層結構,再到實際發音的句子的過程總結在下一頁(圖㉞)。)

[図㉞挿入箇所]

もくろく」というようはまだせつめいしていませんでしたが、ようするにしょのようなものです。(「詞彙目錄」這個術語我還沒有解釋,但基本上是像字典一樣的東西。)ひんかつようけいなどもふくめたたんけいはつおんなどについてのじょうほうが、このもくろくなかさいされています。(關於包括詞性和活用形等的單詞的意義、詞形和發音等信息,都記載在這個詞彙目錄中。)は、このもくろくからせんたくしたたんを、げんがもっているこうぞうそくしたがってならべることで、しんそうこうぞうつくるのだとされています。(據說說話者從詞彙目錄中選擇單詞,按照語言的短語結構規則排列,從而構建深層結構。)

へんけいどうにゅうしてせつめいする

ひょうそうこうぞうを見ればたちどころにただしくかいされ、このあらわてきせつしんそうこうぞうかならそうていできるのだとすると、もうこわいものはありません。(看表層結構的話,立刻就能正確理解意思,且必然能假定出表達這個意思的適當深層結構,那就沒什麼可怕的了。)できるだけたんじゅんこうぞうそくを定めておいて、そのそくに合うこうぞうだけをしんそうこうぞうだと決めておきます。(定下盡可能簡單的短語結構規則,並決定只有符合該規則的結構才是深層結構。)そして、じっさい使つかわれるぶんは、いくらかでもしんそうこうぞうとはことなるものですから、たいてきぶんかんがえて、それに合うしんそうこうぞうてきとうかんがえます。(而且,實際使用的句子在某種程度上與深層結構不同,所以根據具體句子的意思進行思考,並適當地推想出與之相符的深層結構。)何と言っても、たいてきぶんひょうそうこうぞう)のちょくかんてきに分かるのですから、そのたいおうするしんそうこうぞうなら、こうぞうそくただしく決められているかぎり、かくてきかんたんに作り出すことができます。(無論如何,具體句子(表層結構)的意思是直覺性可以理解的,所以只要短語結構規則正確地被確定下來,就能相對簡單地產生出與該意思相對應的深層結構。)

たいてきぶんこうぞうが、そうていされているこうぞうそくしたがっていなかったり(もんぶんとうにあるもんぶんなど)、こうぞうそくには一おうしたがっているのだけれども、こうぞうからそくされるとはちがったあらわしていたり(じゅどうたいぶんなど)、あるいは、とくていたんあらわが、あたえられたぶんを見ただけではちょくせつてきにはかいできそうにないあいだいめいふくんだぶんしょうりゃくのあるぶん)には、じっさいぶんとはことなるしんそうこうぞうを使って、そういうこうぞうかんするもんだいせつめいすることができます。(當具體句子的結構不符合假想的短語結構規則(如疑問詞在句首的疑問句等),或雖然大致符合短語結構規則但表達的意思與結構所推測的意思不同(如被動態句等),或者特定單詞表示的意思從給定的句子單看不太能直接理解(如包含代詞的句子或有省略的句子)時,就可以使用與實際句子不同的深層結構來解釋這些有關結構和意思的問題。)

ようするに、たいてきぶんていするこうぞうめんでのそくとくちょうは、かならそくしたがしんそうこうぞうという、いわばばんのうこうぞうかりていすることで、一けんごうてきせつめいすることができるようになるわけです。(總之,具體句子所呈現的結構和意思方面的不規則特徵,可以通過假定一個必然遵循規則的深層結構(可以說是一個萬能的結構),從表面上看就能合理地解釋了。)しんそうこうぞうひょうそうこうぞうとのけっびつきは、へんけいそくというパイプによってきちんとしょうされていますから、ひょうそうこうぞうがどんなにそくなものであったとしても、へんけいそくてきとう調ちょうせいしさえすれば、ひょうそうこうぞうたいしてほとんどちょくかんてきわりてられるしんそうこうぞうけっびつけることは、げんてきにいつでものうです。(深層結構與表層結構的聯繫由變形規則這根管道恰當地保證,所以無論表層結構多麼不規則,只要適當調整變形規則,就原則上總能將與表層結構幾乎直覺地對應的深層結構聯繫起來。)

しんそうこうぞうへんけいそくという便べんどうかんが案されることで、うまくせつめいできるようになったと思えるれいをいくつか見ておくことにしましょう。(藉由深層結構與變形規則這些便利的工具的考案,我們想看幾個似乎因此而能夠好好解釋的例子。)さきれいでは、せいたいなどをあらわすためのせつを、どうとはどくりつしたようだとしてこうぞうへんせつめいしましたが、とくにこういうようちゅうもくするひつようがないあいには、これらはしんそうこうぞうでもさいしょからどうの中にふくまれていることにしておくこともあります。(在前面的例子中,我們把表示時制、態等的詞綴解釋為獨立於動詞的要素,以此說明結構的變化;但在不需要特別注意這樣的要素的情況下,有時也可以假定這些要素在深層結構中從一開始就包含在動詞裡面。)

[1]whどう
みちびくためのしんそうこうぞうひつようだというせつめいときに、いちばんもっしょげたのがもんぶんとうにあるもんぶんでした。(在説明需要深層結構來推導意義的時候,最初提出的就是疑問詞在句首的疑問句。)しゅはともかく、もくてきであるはずのもんどうちょくではなく、どうまえしかもぶんせんとうにあるというじつせつめいするためには、もくてきであるもんがちゃんとどうちょくにあるしんそうこうぞうせっていすればよいわけです。(為了説明本應作為賓語的疑問詞不在動詞之後,而是在動詞之前且在句首這一事實,只需要設定一個深層結構,其中作為賓語的疑問詞就在動詞之後就可以了。)つぎもんぶんについて、ひょうそうこうぞうせいせいていておきましょう。(讓我們來看一下以下疑問句表層結構的生成過程。)なお、(㊱)にてくる Pr というのは、あらす -ed とおなじような、げんざいあらすためのせつのようなものです。(另外,(圖㊱)中出現的 Pr 是類似於表示過去的 -ed 的東西,是用來表示現在的詞綴一樣的東西。)ただしじつさいはつおんされることはありません。(但是,它實際上不發音。)㉟ Which book do you want? (あなたはどのほんがほしいですか)(㉟ Which book do you want?(你想要哪本書?))[そうにゅうしょ]([圖㊱插入位置])もん(このれいでは「もんめい」にしています)がどうなかどうちょくかれたしんそうこうぞうかりていし、ここからみちびくことで、ぶんとうにあるもんであっても、もくてきとしてのはたらきをしていることがせつめいできるのだとされます。(假設疑問詞(在這個例子中是「疑問詞+名詞」)在動詞短語中位於動詞之後的深層結構,通過從這裡推導意義,可以解釋句首的疑問詞也在發揮賓語的作用。)このあいしんそうこうぞうからひょうそうこうぞうへのへんかんていで一ばんじゅうようなのは、もんぶんとうどうさせるへんけいで、このへんけいそくを「wh どうへんけい」とびます。(在這種情況下,從深層結構到表層結構的轉換過程中最重要的是將疑問詞移動到句首的變形,這一變形規則被稱為「wh 移動變形」。)wh というのは、もんや「もんめい」をぜんたいとしてまとめたしょうです。(wh 是對疑問詞或「疑問詞+名詞」作為整體的統稱。)しかしもんぶんあいも、じゅどうぶんあいおなじように、ひとつのへんけいそくてきようするだけでひょうそうこうぞうにたどりくわけではありません。(但是,就疑問句而言,就像被動句的情況一樣,只應用一個變形規則不會到達表層結構。)えいでは、Who came? (だれたのか) のように、もんしゅあいがいは、もんぶんつくときしゅどうひっくり返かえさなければなりません。(在英語中,除了疑問詞是主語的情況(如 Who came?(誰來了?))之外,在製作疑問句時必須顛倒主語和動詞。)これを「とう」とびます。(這被稱為「倒裝」。)ところが、まことになことに、たんじゅんしゅどうとうして、Which book want you? のようなもんぶんになるのではなくて、㉟のように、ひっくりかえっているのは do というじょどうしゅの you なのです。(但是,非常奇怪的是,並不是簡單地顛倒主語和動詞形成像 Which book want you? 這樣的疑問句,而是像㉟那樣,被顛倒的是助動詞 do 和主語 you。)つまりしんそうこうぞうにはなかった do というたんが、もんぶんとうどうするていあらたにとうじょうし、この do と you がとうされるというへんけいおこなわれているということです。(換句話說,深層結構中不存在的 do 這個詞在疑問詞移動到句首的過程中新出現,並且 do 和 you 發生了倒裝變形。)しゅどうとうさせて、このぶんもんぶんなのだよということをあらほうほうならばかりますが、わざわざもっしょはなかった do をくわえて、これとしゅとうさせるというそうは、じょうせつめいのしにくい、えいとくゆうげんしょうです。(如果是通過倒裝主語和動詞來表示這句話是疑問句,我們可以理解,但是特意添加一開始不存在的 do,然後將其與主語倒裝這樣的操作是非常難以解釋的英語特有現象。)このげんしょうについては、デンマークえいがくしゃイエスペルセンなどは、do you want というかたちになれば、you want というれんぞくもんぶんでものこって、「しゅどう」のじゅんばんがそのままたもたれるから便べんなのだ、などというせつめいをしていますが、これでなるほどとなっとくするわけにもいきません。(關於這個奇怪的現象,丹麥英語學者耶斯佩森等人曾説,如果變成 do you want 的形式,那麼 you want 這個序列在疑問句中仍然存在,「主語+動詞」的順序保持不變,這樣就比較方便了,等等這樣的解釋,但我們無法因此心悅誠服。)せいせいぶんぽうでも、げんざいいたるまでもんぶん使つかわれる do についてのごうてきせつめいはできていないようです。(在生成語法中,似乎也無法對疑問句中使用的 do 進行合理的解釋。)

かくどう

まず、つぎつのぶんを見てください。(首先,請看以下兩個句子。)㊲ a. Clark gave flowers to Jenny.

b. Clark gave Jenny flowers.
(b. 克拉克給詹妮送了花。)使つかわれているたんはほとんどおなじで、「クラークはジェニーにはなをあげた」というおなじだということはすぐに分かります。(使用的單詞幾乎完全相同,「克拉克給詹妮送了花」的意思也是相同的,這一點一目了然。)だとすると、せいせいぶんぽうたちではしんそうこうぞうおなじということになります。(那麼,從生成語法的立場來看,深層結構也應該是相同的。)それではこの二つのぶんきょうつうしんそうこうぞうは何かというと、それは㊲ a. のようなぶんだとかんがえられます。(那麼,這兩個句子共同的深層結構是什麼呢,可以認為是像㊲ a. 這樣的句子。)なぜかというと、えいこうぞうそくとしてつぎの㊳のようなものの方が、㊴よりもいっぱんてきだからです。(因為作為英語的短語結構規則,㊳這樣的規則比㊴更為常見。)

どうどうめいぜん

どうどうめいめい(㊴動詞句→動詞+名詞句+名詞句)㊴のようなこうぞうそくてはまるのは、give(やる)、send(おくる)、tell(う)、make(つくる)など、かずすくないというわけではないにしても、いちどうかぎられています。(例如give(給)、send(送)、tell(告訴)、make(製作)等,雖然數量並非很少,但仍然僅限於一些動詞。)がっこうまなえいぶんぽうよう使つかうなら、「どうかんせつもくてきちょくせつもくてき」というぶんがたをとることができるどうということです。(用學校教授的英文法術語來說,就是能採用「動詞+間接賓語+直接賓語」這種句型的動詞。)いっぽうで、㊳のようにもくてきめいひとつだけとり、あとぜんつづこうぶんをとるどうならばいくらでもあります。(另一方面,像㊳那樣只帶一個目的語名詞句,後面跟著前置詞短語的及物動詞則有很多。)だとすると、こうぞうそくをできるだけかんたんにするのならば、㊴のようなかたちそくはないほうがいいわけです。(那麼,如果要盡可能簡化句構規則,就最好沒有㊴這樣形式的規則。)しかも、これもがっこうぶんぽうおしわったように、㊴のようにもくてきつとるどうは、かんせつもくてきまえぜんの to か for をくことによって、㊳のようなこうぶんに、えずにかきえることができます。(而且,正如學校文法所教的那樣,像㊴那樣帶兩個賓語的動詞,可以通過在間接賓語前加上前置詞to或for,改寫成㊳這樣的句型,且不改變意思。)だとすると、㊲b のようなぶんについては、これはあくまでもひょうそうこうぞうだけであられるこうぞうなのであって、しんそうこうぞうは ㊲a とおなじだとしてもかまわないことになります。(那麼,對於㊲b這樣的句子,這只是表層結構中出現的結構,即使深層結構與㊲a相同也沒有關係。)そして、㊲a のようなこうぞうを ㊲b のようなこうぞうへんかんするへんけいそくもうけておけば、これでつのもくてきをもつぶんかんして、しんそうこうぞうひょうそうこうぞうをきちんとむすびつけることができるようになるというです。(如果設置一條變換規則將㊲a這樣的結構變換成㊲b這樣的結構,那麼就能夠適當地將帶有兩個賓語的句子的深層結構和表層結構聯繫起來。)どうめいぜん」というこうぞうを、「どうめいめい」におきえるそくを、「かくどうそく」とびます。(將「動詞+名詞句+前置詞短語」的結構替換為「動詞+名詞句+名詞句」的規則被稱為「與格移動規則」。)かく」とはみみなられないようですが、ようするに「かんせつもくてきかく」のことです。(「與格」是一個不太常見的術語,其實就是「間接賓語格」的意思。)かく」というのは、しゅとか(ちょくせつかんせつもくてきしょどうてんのような、めいあらことものぶんぽうてきはたらきをあらす、めいけいのことをいます。(「格」是指主語、(直接、間接)賓語、地點、工具、起點這樣的,表示名詞所表示的事物的語法功能的名詞的詞形。)ほんならば「が」「を」「に」「で」のような「かくじょ」がめいかくあらしています。(日語中,像「が」「を」「に」「で」這樣的「格助詞」表示名詞的格。)ただえいだと、めいほんてきけいへんしませんから、かくみとめるのはむずかしいところです。(但是英語中,名詞基本上不發生詞形變化,所以很難認可格的概念。)かろうじてだいめいには、れいえば I がしゅ、me がもくてきあらすように、しゅもくてきについては、けいべつがあります。(只是代詞勉強地有所區別,例如I表示主語,me表示賓語那樣,主語和賓語之間有詞形區別。)めいぶんぽうてきはたらきは、けいわるにしろわらないにしろ、どんなげんにもあることから、せいせいぶんぽうではえいのようにめいがほとんどけいへんをしないげんについても、「かく」というぶんぽうてきはたらきとけいむすびついたようがあるのだとしています。(由於名詞的語法功能無論詞形是否變化,都存在於任何語言中,所以生成語法認為,即使像英語這樣名詞幾乎不發生詞形變化的語言中,也存在著「格」這樣的語法功能與詞形聯繫在一起的要素。)ぜんあとにあるめいちょくせつもくてきめい)のまえどうして、かんせつもくてきかくめい)としてのはたらきをもつようになるということから、こういうどうのことを「かくどう」とぶわけです。(由於前置詞後面的名詞短語移動到直接賓語(名詞短語)前面,並獲得間接賓語(與格名詞)的功能,所以這種移動被稱為「與格移動」。)㊲a のようなしんそうこうぞうから、㊲b のようなひょうそうこうぞうへとへんかんされるていは、つぎのようになります(㊵)。(從㊲a這樣的深層結構到㊲b這樣的表層結構的變換過程如下所示(圖㊵)。)しんそうこうぞうかくどうてきようされると、しんそうこうぞうでは to Jenny というぜんだったものが、Jenny がどうしてしまうことで、to だけになってしまいます。(當與格移動應用於深層結構時,原本在深層結構中是「to Jenny」這樣的前置詞短語,由於Jenny移動了,就只剩下to。)ところが、ぜんあとめいともなわないとぶんちゅうなにはたらきもすることはできません。(但是,前置詞如果不帶上後面的名詞短語,在句子中就無法發揮任何作用。)つまり、かくどうけっぜんようになってしまうわけです。(也就是說,與格移動的結果使前置詞變得不必要了。)こういうようになった to をのぞへんけいが「to さくじょ」です。(這種去除變得不必要的to的變換就叫做「to刪除」。)

[図㊵]

こうぞうそく

ぶんめいどう

どうどうめいぜん

Clark, Jenny, give, flowers

しんそうそうこうぞう

Clark gave flowers to Jenny(Clark 给了 Jenny 花。)

かくどう

ClarkクラークJennyジェニーはなをあげました。(克拉克給珍妮花。)

さくじょ

Clark gave Jenny flowers

ひょうそうこうぞう

Clark gave Jenny flowers

[3]tough いどう

つぎふたつのぶんてみましょう。(讓我們來看看以下兩個句子。) ㊶ a. It is easy to answer the question. b. The question is easy to answer. ㊶にあげたぶんは、どちらも「そのしつもんこたえるのがかんたんだ」というあらわしていることが、えい者であれば(もちろん、えいべんきょうしたがいこくじんであるわたしたちも)すぐにかいできます。(㊶中舉出的句子,無論哪一個都表達「回答那個問題很簡單」的意思,英語使用者(當然,作為學過英語的外國人的我們也)可以立即理解。)もちいられているたんもほとんどおなじで、ちがうのはしゅが a では it なのに、b では the question ということぐらいです。(使用的單詞幾乎相同,不同的只是主語在a中是it,在b中是the question左右。) となると、せいせいぶんぽうとしては、ふたつのぶんしんそうこうぞうおなじだとかんがえることになるわけです。(這樣的話,作為生成文法,兩個句子的深層結構應該是相同的。)しんそうこうぞうがどんなものなのかをめるために、もちいられているたんぶんぽうはたらきをかんがえてみます。(為了確定深層結構是什麼樣的,讓我們考慮所使用單詞的語法功能。)㊶b でしゅになっている the question (そのしつもん)は、じつさいには answer (こたえる)というどうもくてきです。(㊶b中作為主語的the question(那個問題)實際上是answer(回答)這個他動詞的賓語。)なにっても、answer the question (しつもんこたえる)というのがほんじゅんなのです。(畢竟,answer the question(回答問題)才是基本的詞序。) そうすると、もくてきどうあとかれたじゅんになっている ㊶a のほうが、しんそうこうぞうちかいとえそうです。(這樣的話,賓語被置於動詞之後的詞序的㊶a,似乎更接近深層結構。)ただこのぶんについても、しゅの it はたんなるかざりで(がっこうぶんぽうでは「かりしゅ」などとばれます)、ほん当のしゅは to answer the question (そのしつもんこたえること)というていのはずです。(但對於這個句子,主語it只是裝飾(在學校文法中被稱為「虛主語」等),真正的主語應該是to answer the question(回答那個問題的事)這樣的不定詞。)このていしゅならば、しゅぶんさきとうるのがえいそくですから、しんそうこうぞうではていぶんとうかれていなければならないことになります。(如果這個不定詞是主語,那麼主語在英語中應該在句子的開頭,因此在深層結構中,不定詞必須被置於句首。)そして、このしんそうこうぞうに、ていぶんまつうつどうさせるというへんけいそくてきようされることで、㊶a のようなぶんができあがったとかんがえるわけです。(並且,通過對這個深層結構應用不定詞移至句末的變形規則,就產生了像㊶a那樣的句子。) それでは、㊶b のぶんがどのようなていせいせいされたのかをしめします(㊷)。(那麼,以下顯示㊶b的句子是通過什麼過程生成的(圖㊷)。)

[図㊷]

こうぞうそく

ぶんぶんどう

ぶんめいどう

どうどうめい

めいかんめい

もくろく

しんそうそうこうぞう

がい is easy (for ) to answer the question

どう

ひょうそうこうぞう

えいていは for me to answer the question(わたしがそのしつもんこたえる)のように、「for+めい」というかたちしゅあらわすことができるので、せいせいぶんぽうではいっしゅぶんだとかんがえられています。(英語的不定詞可以用「for+名詞」的形式表達主語,如 for me to answer the question(我來回答那個問題),所以在生成文法中被認為是一種句子。)ですからこうぞうそくでは、ていふくぶんふくぶんおなじだとなして、ぶんふくじょうぶんとして「ぶん」というはんちゅうせっていしておきました。(因此在短語結構規則中,包含不定詞的句子被視為與複句相同,我們設定了「句子」這一範疇作為包含句子的上位句子。) ただ、㊶のれいでは、ていしゅさいしょからあきらされていないので、( )でくくって (for ) のようにあらわしておきました。(但是在例①中,不定詞的主語從一開始就沒有明確表示,所以我用括號圍起來標記為 (for ) 的形式。)これは、ていぶんいっしゅだということをしめすためのほうほうですので、いまかんがえているめいどうとはちょくせつかんけいはありません。(這是為了表明不定詞是句子的一種的方法,因此與我們正在考慮的名詞短語移動沒有直接關係。) しんそうこうぞうは、to answer the question is easy ですが、このままへんけいそくてきようされなくても、えいとしてはただしいぶんができあがります。(深層結構是 to answer the question is easy,即使不應用變換規則,作為英語也能形成正確的句子。)ただ、えいしゅがあまりながぶんけるけいこうがあり、しゅながければぶんまつどうさせられます。(但是英語傾向於避免主語過長的句子,如果主語很長就會被移到句尾。)えいで「ながしゅ」というのは、たいたいのところてい、それに that せつのようなめいせつです。(英語中的「長主語」主要是指不定詞,以及像 that 從句這樣的名詞從句。)こうして、ていめいせつぶんまつどうするへんけいそくそうていすることができて、このそくは「がい」とばれます。(這樣我們就能設想不定詞和名詞從句移動到句尾的變換規則,這個規則被稱為「外置」。) がいへんけいそくによりていぶんまつどうさせたけっできあがるのは、is easy to answer the question というこうぞうです。(通過外置變換規則將不定詞移到句尾後得到的結構是 is easy to answer the question。)のようなげんであれば、こういうかたちでもうただしいぶんだとなされます(È facile di rispondere alla questione)。(如果是意大利語這樣的語言,這種形式就已經被認為是正確的句子了(È facile di rispondere alla questione)。)しかし、えいだとぶんとうしゅのないぶんゆるされないので、しゅとして it をそうにゅうして、㊶a のようなぶんつくられます。(但是英語不允許句首沒有主語的句子,所以要插入 it 作為主語,從而形成像①a 那樣的句子。) がいへんけいだけがてきようされるのであれば、これでわりですが、ていどうで、しゅぶんどうなかもちいられているけいようが easy (やさしい)、difficult, tough, hard (むずかしい)、pleasant (たのしい)、dangerous (けんだ)のようなものであるあいには、ていもくてきぶんとうどうすることができます。(如果只應用外置變換的話就結束了,但當不定詞是他動詞,且在主句動詞短語中使用的形容詞是 easy(容易)、difficult、tough、hard(困難)、pleasant(愉快)、dangerous(危險)這樣的詞時,可以將不定詞的賓語移到句首。)このようなへんけいを、せいせいぶんぽうでは、けいようのうちで tough をだいひょうとしてげて「tough どう」とびます。(在生成文法中,以形容詞中的 tough 為代表來稱呼這種變換為「tough 移動」。) がいへんけいてきようされたこうぞうたいして、さらに tough どうへんけいてきようされたけっ、㊶b のようなぶんができあがるというわけです。(在外置變換應用的結構上進一步應用 tough 移動變換的結果,就產生了像①b 那樣的句子。)これで、ひょうそうこうぞうではしゅにある the question というめいが、どうしててきには answer のもくてきなのかということがせつめいされたようにもおもわれます。(這樣一來,表層結構中位於主語位置的名詞短語 the question 為什麼在意義上是 answer 的賓語,這一點似乎就得到了解釋。)

4再帰代名詞化さいきだいめいしか

花子はなこ自分じぶんかがみた」という日本語にほんごぶんで、「自分じぶん」という単語たんご代名詞だいめいし)は、先行せんこうする名詞めいし花子はなこ」とおな人間にんげんしめしています。(「花子用鏡子看自己」這個日文例句中,「自分」這個詞(代名詞)指的是與前面出現的名詞「花子」同一個人。)このように、主語しゅごおなじモノをす「自分じぶん」のような代名詞だいめいしを「再帰代名詞さいきだいめいし」とびます。(像「自分」這樣指代與主語相同事物的代名詞被稱為「再帰代名詞」。) 英語えいご再帰代名詞さいきだいめいしは myself, himself のように -self でわるかたちをとるのですが、ここで問題もんだいになるのは、普通ふつう代名詞だいめいしもそうなのですが、再帰代名詞さいきだいめいしはこの単語たんごただけでは、「主語しゅごおなじモノをす」ということがかるだけで、具体的ぐたいてきなにしているのかはからないということです。(英文的再帰代名詞採用以-self結尾的形式,但問題在於,普通代名詞也是如此,單從再帰代名詞這個詞本身只能知道它「指代與主語相同的事物」,但具體指的是什麼卻無法確定。) 代名詞だいめいしというのは、わざわざおな名詞めいし何度なんどかえすのがわずらわしいので使つかわれるものです。(代名詞的使用是因為重複使用相同的名詞會很麻煩。)つぎぶんてみましょう。(讓我們看下一個例句。) ㊸ The old man felt hot, so he opened the window. (その老人ろうじんあついとおもったのでまどけた) このれいで so のあとてくる he が、最初さいしょぶんにある the old man とおな人間にんげんしていることはだれにでもかります。(在這個例子中,so之後出現的he指的是前面句子中的the old man是誰都能理解的。)ただ、おな名詞句めいしく二回にかいかえすのは面倒めんどうだし、使つか単語たんごかずおおくなるので、he というみじかかたちですむ代名詞だいめいし使つかうわけです。(但是重複使用相同的名詞短語兩次會很麻煩,而且使用的單詞數也會增加,所以使用he這樣較短的代名詞。)この代名詞だいめいしだけではだれすのかからないので、意味いみてきには一種いっしゅ省略しょうりゃくですが、まえにある名詞句めいしくおな人間にんげんすということはまっているわけですから、だれすのかは、先行せんこうする部分ぶぶんればすぐにかります。(雖然單從這個代名詞本身無法知道它指誰,在語義上是一種省略,但由於它必然指代前面的名詞短語所指的同一個人,所以看前面的部分就能立即明白它指誰。) 再帰代名詞さいきだいめいし場合ばあいおなじことです。(再帰代名詞的情況也是一樣的。)つぎれいてください。(請看以下例子。) ㊹ The girl looked herself in the mirror. (そのおんなかがみ自分じぶんた) このれいの herself は主語しゅごおなじ the girl をしています。(這個例子中的herself指的是與主語相同的the girl。)ただ、まえ場合ばあいちがって、おなじ一つのぶん主語しゅご目的語もくてきごおなじモノをしていますから、そのことを語形ごけいうえははっきりとあらわすために、普通ふつう代名詞だいめいしの her ではなくて herself という再帰代名詞さいきだいめいしもちいられています。(但與前一個例子不同的是,同一句中的主語和賓語指的是同一個事物,所以為了在語形上清楚地表達這一點,使用了再帰代名詞herself而不是普通代名詞her。) ㊹をはじめて場合ばあいでも、herself が同一文どういつぶん主語しゅごおな人間にんげんすというまりをってさえいれば、この再帰代名詞さいきだいめいしが the girl をすことはすぐに理解りかいできます。(即使第一次看㊹,只要知道herself指同一句中與主語相同的人這一規則,也能立即理解這個再帰代名詞指的是the girl。)ですから、深層構造しんそうこうぞう段階だんかいからこの代名詞だいめいし使つかわれていたとしても、そこから意味いみ解釈かいしゃくする規則きそくなかに、再帰代名詞さいきだいめいししめすモノがなになのかをめるための規則きそくふくまれていれば、とく問題もんだいはなさそうなもします。(因此,即使從深層結構階段就使用了這個代名詞,只要意義解釋規則中包含確定再帰代名詞指代對象的規則,似乎就沒有特別的問題。) しかし、初期しょき生成文法せいせいぶんぽうでは、代名詞だいめいしにしても深層構造しんそうこうぞう段階だんかいでは、なにすのかがはっきりとかるように、名詞句めいしくかたちをしていなければならないとかんがえられていました。(但是在早期的生成文法中,人們認為即使是代名詞在深層結構階段也必須採取名詞短語的形式,以便清楚地表明它所指代的對象。)そして、表層構造ひょうそうこうぞう変換へんかんされる段階だんかいで、目的語もくてきご名詞句めいしく再帰代名詞さいきだいめいしえる「再帰代名詞化規則さいきだいめいしかきそく」をもうけてやれば、再帰代名詞さいきだいめいし語形ごけい意味いみもうまく説明せつめいすることができるとされたのです。(而且人們認為,如果在轉換為表層結構的階段設置一條「再帰代名詞化規則」來將賓語名詞短語替換為再帰代名詞,就能很好地解釋再帰代名詞的語形和語義。) ㊹について、深層構造しんそうこうぞうから表層構造ひょうそうこうぞうへの変換過程へんかんかていは、つぎのようになります(㊺)。(關於㊹,從深層結構到表層結構的轉換過程如下(圖㊺)。) [㊺]

こうぞうそく

ぶんめいどう

めいかんめい

どうどうめいぜん

ぜんぜんめい

I appreciate your request, but the input you've provided ("the, girl, look, in, mirror") is English, not Japanese text. I cannot annotate Japanese kanji, provide ruby readings, or translate Japanese sentences when the source material is in English. Please provide Japanese text (in Japanese characters) that you'd like me to annotate, and I'll be happy to apply the formatting you've requested.

しんそうそうこうぞう

the girl looked the girl in the mirror

さいだいめいへんけい

the girl looked herself in the mirror

ひょうそうこうぞう

the girl looked herself in the mirror

[5]同一どういつ名詞めいし削除さくじょ

[3]「tough移動いどう」の説明せつめいでもれたように、英語えいご不定詞ふていしは「for+名詞めいし」というかたち主語しゅご名詞めいしあらわすことができます。(如「tough移動」的說明中所提及的,英語的不定詞可以用「for+名詞短語」的形式來表示主語的名詞短語。)このことから不定詞ふていしぶんちか単位たんいだとなされるのですが、不定詞ふていし主語しゅごをいつでも for を使つかってあらわすことができるわけではありません。(由此可見,不定詞被視為接近句子的單位,但不定詞的主語並不總是能用 for 來表示。)つぎれいてみましょう。(讓我們看看以下例子。) ㊻ Patricia wants to visit Florence. (帕特里夏想要去佛羅倫薩。) (パトリシアはフィレンツェに行きたいと思っている) want のあと不定詞ふていしが来ていますが、不定詞ふていしはいつでもぶんの一しゅだとされていますから、必主語しゅごはあるはずです。(want 後面跟著不定詞,由於不定詞被認為始終是句子的一種,所以必定應該有主語。)主語しゅごがあるのなら、それは「for+ 」であらわされます。(如果有主語,那應該用「for+ 」來表示。)このれい主語しゅごは、Patricia だということはあきらかですから、もしそれを深層しんそう構造こうぞうレベルれべる表現ひょうげんしたければ、深層しんそう構造こうぞうは、つぎのようなかたちになるはずです。(這個例子的主語顯然是Patricia,如果要在深層結構層級上表達它,深層結構應該是這樣的形式。) ㊼ Patricia wants for Patricia to visit Florence. (帕特里夏想要帕特里夏去佛羅倫薩。) この構造こうぞうでは、Patricia という名詞めいしが二かい使つかわれていますから、[4]で説明せつめいした再帰さいき代名詞だいめいし規則きそく適用てきようされて、その結果けっかつぎのようなかたちになります。(在這個結構中,名詞Patricia被使用了兩次,所以在[4]中解釋的反身代詞化規則就適用了,結果變成以下的形式。) ㊽ Patricia wants for herself to visit Florence. (帕特里夏想要她自己去佛羅倫薩。) このかたちでも意味いみただしく理解りかいできそうなのですが、英語えいごでは他動詞たどうし目的語もくてきご不定詞ふていしの時には、「for+名詞めいし不定詞ふていし」というかたちにはならないことになっています。(這種形式的意思似乎也能被正確理解,但在英語中,當他動詞的賓語是不定詞時,不能採用「for+名詞短語+不定詞」的形式。)目的語もくてきご名詞めいしせつの時には、that のような接続詞せつぞくしあとに、主語しゅご述語じゅつごもあるぶんが来ることができるのですから、不定詞ふていしぶんとしての性質しょくしつたしてきちんとそなえているかどうか、少しうたがわしいところもあります。(當賓語是名詞子句時,可以在like that這樣的連接詞後面跟著既有主語也有謂語的句子,所以不定詞是否真正具有句子的性質並完整備齊,也有些可疑之處。) 主節しゅせつ主語しゅご不定詞ふていし主語しゅごなっている場合ばあいには、不定詞ふていし主語しゅごまえの for をるだけでかまいません。(當主子句的主語與不定詞的主語不同時,只需要去掉不定詞主語前的for就可以了。)れいえばつぎのようになります。(例如,會變成以下這樣。) ㊾ Patricia wants her son to be a lawyer. (帕特里夏希望她的兒子成為律師。) (パトリシアは自分の息子が弁護士になることを望んでいる) しかし、主節しゅせつ主語しゅご不定詞ふていし主語しゅごが同じ場合ばあいには、さらにすすんで、不定詞ふていし主語しゅごそのものをあらわしてはいけないことになっています。(但是,當主子句的主語與不定詞的主語相同時,進一步規定不能表示不定詞的主語本身。)このため、㊽の herself は削除さくじょされて、つぎのような構造こうぞうになります。(因此,㊽中的herself被刪除了,變成以下的結構。)これが最終的さいしゅうてき表層ひょうそう構造こうぞうです。(這就是最終的表層結構。) ㊿ Patricia wants to visit Florence. (帕特里夏想要去佛羅倫薩。) 主節しゅせつ主語しゅご不定詞ふていし主語しゅごが同じ時に、不定詞ふていし主語しゅご削除さくじょされるという変形へんけいを「同一どういつ名詞めいし削除さくじょ」とびます。(當主子句的主語與不定詞的主語相同時,不定詞的主語被刪除的這種變換被稱為「同一名詞短語刪除」。)ただ、不定詞ふていしというのは、もともと動詞どうしだけでは主語しゅご目的語もくてきごになれないことから、動詞どうし名詞めいし化するためにつくられたかたちで、主語しゅごあらわすということはありませんでした。(但不定詞本來就是為了把動詞名詞化而創造的形式,因為單純的動詞無法作為主語或賓語,所以不定詞原本就不表示主語。)このことから、英語えいご以外の言語げんごでも、「~したい」という意味いみ動詞どうしについて、主節しゅせつ主語しゅご不定詞ふていし主語しゅごが同じ時には、不定詞ふていし主語しゅごあらわされないのが普通ふつうです。(因此,在英語以外的語言中,當涉及「~想要」含義的動詞時,如果主子句的主語與不定詞的主語相同,通常也不會表示不定詞的主語。)以下に、フランスふらんすイタリアいたりあドイツどいつラテンらてんれいをあげておきます。(以下列舉法語、意大利語、德語和拉丁語的例子。) (51) a. Patricia veut visiter Florence. (帕特里夏想要去佛羅倫薩。) b. Patricia vuole visitare Firenze. (帕特里夏想要去佛羅倫薩。) c. Patricia will Florenz besuchen. (帕特里夏想要去佛羅倫薩。) d. Patricia Florentiam visere vult. (帕特里夏想要去佛羅倫薩。) これらの言語げんごでは、不定詞ふていしぶんとして機能きのうすることはできず、したがって不定詞ふていし主語しゅごあらわすこともできません。(在這些語言中,不定詞無法作為句子功能,因此也無法表示不定詞的主語。)もちろん、英語えいごは同じインドいんどヨーロッパよーろっぱ諸語しょごでも、これらの言語げんごとはべつ言語げんごなのですから、英語えいご不定詞ふていしが他の言語げんごとはちが文法的ぶんぽうてきはたらきをしていても、ちっともかまいません。(當然,英語雖然是與這些語言相同的印歐語族,但它是不同的語言,所以英語的不定詞具有不同於其他語言的語法功能,這完全沒有問題。) しかし、to visit Florence という不定詞ふていしが「フィレンツェに行くこと」のような名詞的めいしてき意味いみあらわしているのならば、それを主語しゅごが「望む」と言えば、フィレンツェに行く主体しゅたい主語しゅごである人間にんげんだと解釈かいしゃくされるのが普通ふつうです。(但是,如果to visit Florence這個不定詞表示「去佛羅倫薩這件事」之類的名詞性意思,那麼當說主語「希望」時,去佛羅倫薩的主體通常就被解釋為主語本人。)だとすると、わざわざ不定詞ふていし主語しゅご深層しんそう構造こうぞう設定せっていしておいて、動詞どうしが want だから途中とちゅう削除さくじょするというような、非効率的ひこうりつてき変形へんけい規則きそくに本当に妥当だとう性があるのか、かんがえてみる必要ひつようはあると思います。(既然這樣,那麼是否有必要在深層結構中特意設定不定詞的主語,卻因為動詞是want就在中途刪除,這樣的低效變換規則是否真的有適當的理由呢?我認為是有必要深思的。) それはともかく、㊻について、深層しんそう構造こうぞうから表層ひょうそう構造こうぞうへの変換へんかん過程かていは、つぎのようになります((52))。(無論如何,關於㊻,從深層結構到表層結構的轉換過程如下(圖(52))。)

[(52)]

こうぞうそく

ぶんめいどう

どうどうぶん

もくろく

しんそうこうぞう

Patricia wants for Patricia to visit Florence(Patricia 想要 Patricia 去訪問佛羅倫薩)

さいだいめいへんけい

どういちめいさくじょ

ひょうそうこうぞう

Patricia wants to visit Florence

ぶんせいせいていかんわるもんだい

あるげん者であれば、そのげんじつ際に使つかわれるぶんを見れば、そのぶんがどんなあらわしているのかがそくかいできます。(如果是某種語言的母語使用者,看到用該語言實際使用的句子,就能立即理解該句子表達的是什麼意思。)そして、そのきゃくかんてきあらわすためのだんよう意していないのだけれども、どうくためにかりていされたこうぞうとして、しんそうこうぞうがどんなぶんにもそんざいします。(而且,雖然沒有客觀表達意思的手段,但作為引出意義的假設結構,深層結構存在於任何句子中。)したがってしたがってあたえられたにんぶんについて、それがあらわちょくけつするてきせつしんそうこうぞうそうていすることで、そのぶんあらわてきせいしつをうまくせつめいできるというのが、しょせいせいぶんほうほんてきこう方だったとえます。(因此,通過對給定的任意句子假設與其表達的意義直接相連的適當深層結構,就能很好地解釋該句子所表現的語義性質,這可以說是初期生成語法的基本思想。) ただチョムスキーチョムスキーしんは、ぶんこうぞうはそれがあらわとはどくりつきままってくるはずだとかんがえていました。(但喬姆斯基本人認為,句子的結構應該是獨立於它所表達的意義而決定的。)このてんは、チョムスキーチョムスキーはんしていた、彼ぜんアメリカアメリカおこなわれていたげんがくである「アメリカアメリカこうぞうしゅげんがく」のたちたところがあります。(這一點與喬姆斯基批評的、他之前在美國進行的語言學——「美國結構主義語言學」的立場有相似之處。)アメリカアメリカこうぞうしゅげんがくだいひょうてきげんがくしゃブルームフィールドブルームフィールドです)では、にんげんコトバコトバをできるだけきゃくかんてきぶんせきするためには、のようなあまりにばくぜんとしたようを、はいじょできるのならそうしたほうがいいとかんがえられていました。(在美國結構主義語言學中(代表性的語言學家是布隆菲爾德),為了儘可能客觀地分析人類的語言,人們認為最好能夠排除意義這樣過於模糊的要素。) たしかに、ぶんたんあらわを、だれにでもかるようにきゃくかんてきあらわすことはなんぎょうですから、げんがくげんみつぶんせきかいざいさせないですむなら、それはそれでわるいことではないようなもします。(確實,將句子或單詞所表達的意義客觀地表現成誰都能理解的形式是極其困難的,所以如果語言學的嚴格分析能夠避免涉及意義,那似乎也不是壞事。)ところがじつさいには、ぶんであれたんであれ、それが使つかわれるときにはかならあらわされます。(但實際上,無論是句子還是單詞,它們在被使用時必定會表達出意義。)ソシュールソシュールうように、げんごうであるかぎりは、ぶんでもでもでも、げんたんぶんせきしようとすれば、そこにはてきともなっているのです。(正如索緒爾所說,只要語言是符號,那麼無論是文、句還是詞,在分析語言單位時,意義必然會伴隨而至。)ですから、ぶつたいうんどうかならばんゆういんりょくほうそくしたがわなければならないように、コトバコトバぶんせきからはいじょすることなど、けっしてできないのです。(因此,就像物體的運動必然要遵循萬有引力定律一樣,從語言分析中排除意義是決不可能的。) こうぞうそくもちいてつくられるこうぞうに、もくろくからてき当にたんえらんではいすることでしんそうこうぞうつくられ、そのしんそうこうぞうたいして、こうぞうへんかんさせるはたらきをするへんけいそくてきようすることで、べつこうぞうつくられ、一れんへんけいて、さいしゅうてきひょうそうこうぞうつくられるというひょうじゅんろんていするこうぞうせいせいしくみしくみでは、じつこうみょうかいざいさせないようにしてあります。(通過使用短語結構規則創建的結構,從詞彙目錄中適當地選擇和放置單詞以創建深層結構,然後對該深層結構應用變換規則(其功能是改變結構),創建另一種結構,經過一系列變換,最終創建表層結構的標準理論所呈現的結構生成機制確實巧妙地排除了意義。)そのものは、しんそうこうぞうからかいしゃくそくどうかれることになっていて、しんそうこうぞうちょくせつあらわしているのではありません。(意義本身是通過從深層結構經過意義解釋規則導出的,深層結構並不直接表達意義。)はあくまでも「どうかれる」もの、つまりしんそうこうぞうかいしゃくしたけっ出てくるものであって、しんそうこうぞうとはほんてきべつのものだとされているのです。(意義歸根結蒂是「被導出」的東西,即深層結構解釋的結果,在根本上與深層結構是不同的東西。) ただ、もしこのようなひょうそうぶんせいせいていが、にんげんあたまなかじつこうされるのだとしたら、まことになことになります。(但是,如果這種表層句子生成過程是在人的頭腦中執行的,那將是十分奇怪的。)こうぞうそくは、できるだけかんたんになるようにきまめられているとしても、それなりのかずはありますし、ぶんなかぶんていせつ)をさらにふくむ(これをせいせいぶんほうでは「うずみ」とびます)ことができますから、こうぞうそくによってつくられることのできるこうぞうは、ほとんどげんといってもかまいません(チョムスキーチョムスキーは「げんだ」とっていますが、ぶんしたにまたぶんが、そしてそのしたにまたぶんが、というようにげんぶんうずまれることは、コトバコトバだれかにつたたつするだんであるじょうじつさいにはありえませんから、つくられるこうぞうかずほんとうげんになることはありません)。(短語結構規則雖然被設定成盡可能簡單,但仍有相當的數量,而且由於文中可以進一步包含文(不定式或分句)(這在生成語法中稱為「嵌入」),短語結構規則能創建的結構可以說幾乎是無限的(喬姆斯基說它「是無限的」,但由於語言是向他人傳達意義的手段,文中無限嵌入文這樣的情況實際上不可能發生,所以創建的結構數實際上不會是真正無限的)。) そうすると、しんそうこうぞうつくるべくもくろくなかからえらばれたいくつかのたんを、それらの

しんそうこうぞうけっていにまつわるろんてきじゅん

たいてきかんさつされるひょうそうこうぞうをもとにして、そこからどのようにしてぶんかいされるのかというもんだいになると、ひょうじゅんろんわくみはさらにかいになります。(根據具體觀察到的表層結構,當涉及到如何從中理解句子的意義這一問題時,標準理論的框架變得更加難以理解。)さきほども少しのべたように、とはかんけいひょうそうこうぞうせいせいされるというまえていのもとで、ぶんこうぞうせいせいていかんするもんだいたいしょうとするのがせいせいぶんぽうほんてきりっですから、ひょうそうこうぞうしゅっぱつてんとするかいすのは、あまりてきとうとは言えないかもしれません。(如同之前提到的,在表層結構獨立於意義而生成的前提下,生成文法的基本立場是以文章結構的生成過程為研究對象,因此提出以表層結構為出發點來理解意義可能不太恰當。)なんと言っても、けっきょくのところチョムスキーはにあまりかんしんがないのです。(無論如何,歸根結底,喬姆斯基對意義並不是很感興趣。)

しかし、ひょうそうこうぞうを見てちょくかんてきかいされるてきごうするこうぞうが、しんそうこうぞうだということにかわわりはありません。(然而,與看表層結構直觀理解的意義相符的結構就是深層結構,這一點沒有改變。)」というと少し言いぎかもしれませんが、少なくとも、めいあらわぶつしゅもくてきかとか、どうせいたいがどうなっているのかという、いわゆるたんぶんぽうてきはたらきは、ひょうそうこうぞうによってただしくかいされるとていされているはずです。(說「意義」可能有些誇大,但至少名詞所代表的事物是主語還是賓語,動詞的時態和語態如何等,所謂單詞的語法功能應該被表層結構正確理解。)つまり、ぶんあらわの中で、めいがどんなノをすのかとか、どうがどんなどうきやじょうたいあらわすのかというものまでもがかいされていなくても、ぶんあらわがらほんてきわくみの分については、ひょうそうこうぞうを見てかっていなければならないのです。(也就是說,即使句子所表達的意義中名詞指代什麼事物、動詞表達什麼動作或狀態等這些內容還未被理解,但對於句子所表達事項的基本框架部分,必須通過觀看表層結構而明白。)

そうでなければ、あるとくていぶんについて、しんそうこうぞうはこういうかたちになっています、などというろんせいせいぶんぽうのうなはずはありません。(否則,生成文法就不可能對某一特定句子進行「深層結構具有這樣的形式」的討論。)れいすまでもないかもしれませんが、一おうつぎぶんを見ておきましょう。(雖然也許不必舉例,但讓我們先來看看下面的句子。)

(53) I believe him to be honest. (私は彼が正直だと思う)(我認為他是誠實的。)

このぶんは、I believe ではじまっていますから、「わたしは何かをしんじる」のようなあらわすことはすぐにかります。(這個句子以 I believe 開始,所以立刻可以理解它表達「我相信某些東西」這樣的意義。)「何か」はノであることもあればがらであることもあります。(「某些東西」可以是物體,也可以是事項。)ノであればめいが来るでしょうし、がらであればぶんが来るのがつうです。(如果是物體,應該是名詞出現;如果是事項,通常是句子出現。)

このぶんでは believe の後に him というもくてきかくだいめいが来ていますから、これだけだと「わたしは彼をしんじる」というになるはずです。(在這個句子中,believe 後面跟著目的格代詞 him,所以只看這部分,意義應該是「我相信他」。)ところがこのぶんでは、him の後に to be honest というていが来ています。(但是,在這個句子中,him 後面跟著不定詞 to be honest。)ていぶんはたらきをしますから、そうするとしんじているのはあるがらだということになります。(因為不定詞起句子作用,所以相信的是某個事項。)このことから、him to be honest ぜんたいで、「彼がしょうちょくだ」というがらあらわしているのだとかいされるわけです。(由此,him to be honest 整體被理解為表達「他是誠實的」這一事項。)

こうして、ひょうそうこうぞうあらわかいされてようやく、(53)のぶんしんそうこうぞうは、このはんえいするものとして、つぎのようなかたちだとけっていできるわけです。(就這樣,只有理解了表層結構所表達的意義,才能最終確定 (53) 句子的深層結構是這樣的形式,以反映該意義。)

(54) I believe [for him to be honest].(我相信[他是誠實的]。)

ひょうそうこうぞうから、それがあらわばいかいとしてしんそうこうぞうけっていされ、こんはそのしんそうこうぞうしゅっぱつてんにして、ひょうそうこうぞうつくされるにはどんなへんけいそくひつようなのかということをかんがえるのが、ひょうじゅんろんほうほうだったと言えます。(從表層結構經由它所表達的意義作為媒介而確定深層結構,然後以該深層結構為出發點,思考需要什麼樣的變形規則來生成表層結構,這就是標準理論的方法。)

つまり、しんそうこうぞうというのは、あるぶんかんぜんあらわ示としてのやくわりをもっているにぎなかったのではないかと思えます。(也就是說,深層結構似乎只是充當某個句子的不完全意義表示的角色。)しかも、ぶんあらわとはどんなかたちあらわされるのかについてのこうさつおこなわれないのですから、みちびかれるしんそうこうぞうたしてみちびくためにてきかくなものなのかということも、まったあきらかではありません。(而且,由於沒有對句子所表達意義的表現形式進行考察,所以導出的深層結構是否真的適合引出意義也完全不清楚。)

だとすると、ばくぜんただしいものだとみと定されているこうぞうそくにしても、たしてそれがかんぜんなものなのかをけっていすることもできなくなります。(既然如此,即使對於含糊地被認定為正確的短語結構規則,也無法確定它是否完全。)しんそうこうぞうてきかくせいはんていするじゅんほうほうからないのですから、そのしんそうこうぞうつくそくであるこうぞうそくただしさをしょうめいすることも、とうぜんできないわけです。(由於不知道判定深層結構適格性的標準和方法,所以當然也無法證明生成深層結構的短語結構規則的正確性。)

てきかくせいはんていするぜったいてきじゅんのないしんそうこうぞうてきかくなものだとしてていし、ていされたしんそうこうぞうと、たいてきぶんとしてのひょうそうこうぞうをうまくかんけいづけるためのへんけいそくかんが

へんけいそくかんわるもんだい

しんそうこうぞうは、せいせいぶんぽうという一つのげんろんなかそんざいていされているだけで、じつさいにはけっしてかんさつされることができないものです。(深層結構只是在生成文法這一語言理論中被假定存在,而實際上它永遠無法被觀察到。)それだけに、ろんないで、しんそうこうぞうがいけいにおいても、どのようなものがえいとしてみとめられるしんそうこうぞうで、みとめられないこうぞうはどれなのか、というこうぞうてきかくせいについて、げんみつじゅんさだめておくひつようがありました。(因此,在理論內部,關於深層結構的外形,需要制定嚴格的標準,即什麼樣的深層結構被認為是英語中可接受的,什麼樣的結構是不可接受的。) そのために、さきにものべたように、ぶんあらわがわからしんそうこうぞうがいけいていするというほうこうのぞましかったとはおもいますが、こうぞうそくげんみつさだめるということから、ぎゃくしんそうこうぞうてきかくじょうけんけっていするというほうほうもありえたかもしれません。(為此,正如前面所述,從文所表達的意義方面規定深層結構的外形的方向也許是理想的,但從嚴格規定短語結構規則的角度,反過來決定深層結構的適格條件的方法也許也是可能的。) しかし、どちらのほうこうからもしんそうこうぞうてきかくじょうけんきめることはなされなかったことから、ひょうじゅんろんへんけいそくやくわりだいするというけっになったわけです。(但是,由於從兩個方向都沒有確定深層結構的適格條件,結果在標準理論中變形規則的作用變得過度龐大。) へんけいそくかずがあまりにおおくなりぎると、とうぜんのことながら、ほんらいならばてきようされるはずのないこうぞうにあるへんけいそくてきようされたけっえいとしてれることのできないひょうそうこうぞうつくされてしまうけんせいがあります。(如果變形規則的數量過多,那麼當然存在這樣的危險:原本不應該適用的結構被變形規則適用,結果產生出無法作為英語接受的表層結構。) れいえば、へんけいそくせつめいさいしょにあげた「じゅどうへんけい」にしても、「めいどうめい」というこうぞうであればいつでもてきようできるわけではありません。(例如,即使是最初提到的「被動變形」,也不是每次都可以應用在「名詞短語+動詞+名詞短語」的結構上。)つぎれいてください。(請看下面的例子。) (55) Kate resembles her mother. (ケイトはしんている)(凱特像她的母親。) (56) John became a doctor. (ジョンしゃになった)(約翰成為了一名醫生。) どちらのぶんも、「めいどうめい」というこうぞうであり、のうどうぶんですから、このこうぞうしんそうこうぞうとして、じゅどうへんけいてきようできるはずです。(這兩句話的結構都是「名詞短語+動詞+名詞短語」,並且都是主動句,所以以這個結構作為深層結構應該可以適用被動變形。)ところが、このへんけいてきようしてつくられたぶんてきかくぶんとなります。(但是,用這個變形製作出來的句子是不合法的句子。) (57) *Her mother is resembled by Kate.(*她的母親被凱特所像。) (58) *A doctor was become by John.(*一名醫生被約翰所成為。) (55)のあいは、resemble (る)というどうどうだけれども、しゅもくてきぜんたいしょうかんけいにあって、つうじょうどうとはちがうからじゅどうたいにはなりにくいというせつめいができます。(對於第(55)句,可以解釋說resemble(像)這個動詞雖然是他動詞,但主語和賓語之間有完全對稱的關係,不同於普通他動詞,所以不容易轉為被動態。)(56)については、become はそもそもどうではなくどうであって、このどうちょくにあるめい a doctor はもくてきではなくなのであり、だからじゅどうたいしゅになることはできないのだ、というせつめいがされます。(對於第(56)句,become根本不是他動詞而是自動詞,這個動詞後面的名詞短語a doctor不是賓語而是補語,因此不能成為被動態的主語,這樣解釋。) いずれにしても、じゅどうへんけいてきようできるこうぞうであるはずなのに、じつさいにはてきようできないというたいげんじつあらにあるのです。(無論如何,實際存在著這樣的事實:應該可以適用被動變形的結構,實際上卻無法適用。) じゅどうたいかんしては、つぎれいておきましょう。(關於被動態,讓我們再看看下面的例子。) (59) a. You can see the mountain from this place. (このしょからそのやまえる)(從這個地方可以看到那座山。) b. They sell drugs at the store. (そのてんではくすりっている)(在那家店裡他們在賣藥。) (60) a. Our company was founded in 1975. (わたしたちのかいしゃいちきゅうしちねんそうりつされた)(我們的公司在1975年成立。) b. No such word is listed in this lexicon. (そんなたんはこのしょにはっていない)(這樣的單詞沒有在這本詞典中被列出。) (59)にあげたぶんでは、しゅの you や they はとくていにんかんしているのではなくて、誰だかとくていできないひと々をあらわしています。(在第(59)句中,主語you和they並不指代特定的人,而是表示不確定的人們。)このようなあいには、じゅどうたいにはできるものの、のうどうぶんしゅを by のうしにもってくることはできません。(在這樣的情況下,雖然可以轉為被動態,但不能將主動句的主語放在by之後。) (61) a. *The mountain can be seen from this place by you.(*那座山可以從這個地方被你所看到。) b. *Drugs are sold at the store by them.(*藥在那家店裡被他們所賣。) (60)のかくぶんじゅどうたいですが、これをのうどうたいおきえようとおもっても、しゅめいとしてなにえらべばいいのか、よくかりません。(第(60)句各句是被動態,但如果想把它們改為主動態,就不清楚應該選擇什麼名詞短語作為主語。)a であれば、the founder of our company (わたしたちのかいしゃそうりつしゃ)なのかもしれませんが、こんなとうたりまえしゅであるはずもありません。(如果是第a句,主語也許是the founder of our company(我們公司的創始人),但這樣的主語當然太理所當然了。)b のあいおなじで、しゅが the lexicographer (しょへんさんしゃ)であれば、違いではありませんが、ほかめいであるのうせいじゅうぶんかんがえられます。(第b句也是這樣,如果主語是the lexicographer(詞典編纂者),也不是錯誤,但其他名詞作為主語的可能性也完全可以考慮。) けっきょくのところ、(59)ののうどうぶんじゅどうへんけいかんぜんてきようすることはできませんし、このじゅどうぶんたいおうするのうどうぶんも、いちてききめできるわけではありません。(結果是,第(59)句中無法將被動變形完全適用於主動句,與這個被動句相對應的主動句也無法唯一地確定。)ようするに、のう

ひょうそうこうぞうからみちび

このように、のうどうぶんじゅどうぶんとは、ひょうそうこうぞうのレベルでことなっているのはもちろん、あらわについてもけっしておなじとは言えません。(就這樣,主動句和被動句不僅在表層結構的層面上不同,它們所表達的意義也絕不相同。)だとすると、みちびくのはしんそうこうぞうなのですから、しんそうこうぞうちがっているということになりそうです。(如果這樣的話,既然推導意義的是深層結構,那麼深層結構似乎也應該是不同的。) しかし、とうせいせいぶんぽうでは、のうどうぶんじゅどうぶんしんそうこうぞうまでもがちがうのだというけつろんいっぱんてきになることはありませんでした。(但是,在當時的生成文法中,關於主動句和被動句的深層結構也不同這一結論並未成為普遍共識。)それではどうなったのかと言うと、まずはしんそうこうぞうひょうそうこうぞうりょうほうからみちびけばいいとされたのですが、これではりょうしゃのどのぶんけつていかんわってくるのかをめるのがむずかしくなります。(那麼實際情況是怎樣的呢?起初有人提議從深層結構和表層結構兩方面推導意義,但這樣做就很難確定兩者的哪一部分會影響意義的決定。)それでけっきょくは、ひょうそうこうぞうほうからみちびこうではないかということにきました。(因此,最後決定應該從表層結構的角度來推導意義。) このけいだけを見ると、じゅどうぶんのうどうぶんについて、ことなったしんそうこうぞうせっていし、じゅどうへんけいをなくしてしまえばいいだけのようながします。(從這段發展經過來看,似乎只需要為被動句和主動句設定不同的深層結構,並去掉被動轉換規則就可以了。)ただ、つぎのように、はつおんべつかんけいしてくるようなじつてきされたりもしました。(但是,也有人指出了這樣的事實,即發音與意義的區分有關。) (63) a. TOM sent Mary flowers.

b. Tom SENT Mary flowers.

Tom sent MARY flowers.

d. Tom sent Mary FLOWERS. 「TomトムMaryメアリーはなおくった」(Tomトムはメアリーにはなおくった)というぶんは、つの単語たんごからできていますが、どの単語たんご強調きょうちょうして発音はつおんするかによって、すこしずつ意味いみちがってきます。(「湯姆把花送給瑪麗」這個句子是由四個單詞組成的,但根據強調發音哪個單詞,意思會有所不同。)(63)では、強調きょうちょうして発音はつおんされる単語たんご全部ぜんぶ大文字だいもじしめしてあります。(在(63)中,強調發音的單詞都用大寫字母表示。) Tomトム強調きょうちょうして発音はつおんすれば、「ほかだれでもなくトムがMaryメアリーはなおくった」という意味いみになります。(如果強調發音Tom,就表示「不是別人,而是湯姆把花送給瑪麗」的意思。)つまり、主語しゅごとして、「トム」という人間にんげんほか人間にんげん対比たいひされているということです。(也就是說,作為主語,「湯姆」這個人與其他人進行了對比。)動詞どうしの sent を強調きょうちょうして発音はつおんすることは、実際じっさいにはあまりありませんが、もし強調きょうちょうされれば、「トムはMaryメアリーはなおくったのであって、ってやったり、つくってやったりしたのではない」というような意味いみになります。(雖然實際上很少強調動詞sent,但如果強調的話,就表示「湯姆是把花送給瑪麗,而不是買給她或做給她」的意思。)Maryメアリーや flowers を強調きょうちょうして発音はつおんした場合ばあいおなじことは、もうおかりになるとおもいます。(我想你已經明白強調發音Mary或flowers的情況也是同樣的道理。) どの単語たんご強調きょうちょうして発音はつおんするかというのは、まさに発音はつおん側面そくめんですから、表層ひょうそう構造こうぞう直結ちょくけつしています。(選擇強調哪個單詞的發音,正是發音方面的問題,因此與表層結構直接相連。)(63)の各文かくぶんについて、ことなった深層しんそう構造こうぞう対応たいおうさせることは、「強調きょうちょう」のような、架空かくう発音はつおんされない記号きごう深層しんそう構造こうぞうれたりすれば、できないわけではないかもしれません。(對(63)中的每個句子對應不同的深層結構,如果將「強調」這樣不發音的虛擬符號納入深層結構中,或許也不是不可能的。)しかし、そういう架空かくう記号きごうみとめるとすると、「疑問ぎもん」だの「反語はんご」だの「未知みち」だの「既知きち」だの、あらゆる種類しゅるいのそういう記号きごうもまたみとめなければならなくなってしまい、深層しんそう構造こうぞういたずら肥大ひだい化してしまいます。(但是,如果承認這樣的虛擬符號,就必須也承認「疑問」、「反語」、「未知」、「已知」等各種這樣的符號,深層結構就會無必要地膨脹。) こういう事態じたいは、変形へんけい規則きそく肥大ひだい化と同様どうように、けなければいけませんから、やはりここでは(63)の各文かくぶん深層しんそう構造こうぞうおなじだとしておかなければなりません。(這種狀況應該避免,就像避免轉換規則膨脹一樣,因此我們還是應該認為(63)中各個句子的深層結構是相同的。)だとすると、深層しんそう構造こうぞうではなくて、表層ひょうそう構造こうぞうから意味いみみちびくとしたほうがいいのかもしれません。(既然如此,或許從表層結構而不是深層結構來推導意義會更好。) ただ、さき説明せつめいしたように、表層ひょうそう構造こうぞう実際じっさい発音はつおんされるというわけではなくて、表層ひょうそう構造こうぞう音韻おんいん規則きそく適用てきようされた結果けっか、どのように発音はつおんされるかが決定けっていされるというのが、生成せいせい文法ぶんぽう一貫いっかんしてとっている立場たちばです。(但是,如前所述,表層結構並不是實際發音的內容,而是對表層結構應用音韻規則的結果決定了如何發音,這是生成文法一貫採取的立場。)そうすると、表層ひょうそう構造こうぞうのどこかに、「この単語たんご強調きょうちょうして発音はつおんする」という、これまた架空かくう抽象ちゅうしょう的な特性とくせいくわえておいて、これを音韻おんいん規則きそく適用てきようするための入力にゅうりょく情報じょうほうにしなければならないことになるはずです。(這樣的話,就必須在表層結構的某個地方加入「強調發音這個單詞」這樣又是虛擬的抽象特性,並將其作為應用音韻規則的輸入信息。)しかし、そういう強調きょうちょうについての特性とくせいが、いきなり表層ひょうそう構造こうぞうくわわるのだという合理ごうり的な根拠こんきょはどこにもありません。(但是,沒有任何合理的根據說這樣的強調特性突然在表層結構中加入。)深層しんそう構造こうぞう段階だんかいからすでにあって、それが表層ひょうそう構造こうぞうまでたもたれているのだとかんがえてはいけないのかというと、もしそういう特性とくせいみとめるのだとすれば、このかんがえを否定ひていすることもできません。(如果我們認為它從深層結構階段就已經存在,並一直保留到表層結構,那我們為什麼不能這樣想呢?如果我們承認這樣的特性,就無法否定這個想法。) 単語たんご強調きょうちょうについての情報じょうほうを、深層しんそう構造こうぞう表層ひょうそう構造こうぞうのどちらにれることもむずかしいのなら、やはり最後さいご手段しゅだんとして音韻おんいん規則きそく担当たんとうさせることもありえます。(如果無法將單詞強調的信息納入深層結構或表層結構,那麼作為最後的手段,也可以由音韻規則來負責。)しかし、どの単語たんご強調きょうちょうするのかが、ぶん意味いみ関係かんけいしてくるのだとすると、音韻おんいん規則きそく適用てきようされた結果けっかとしての実際じっさい発音はつおんから意味いみみちびくしくみにはなっていないのですから、結局けっきょく音韻おんいん規則きそくゆだねるのも無理むりです。(但是,如果強調哪個單詞與句子意義有關係,那麼從應用音韻規則的結果即實際發音來推導意義的機制就不成立了,所以交給音韻規則處理也不行。) したがって、単語たんご強調きょうちょうされて発音はつおんされることで、その単語たんごべつ単語たんご対比たいひされる意味いみてくるという事実じじつ根拠こんきょにして、表層ひょうそう構造こうぞうから意味いみみちびくことが合理ごうり的だと判断はんだんすることは、生成せいせい文法ぶんぽう枠組わくぐみみにしたがかぎりは、実際じっさいのところ困難こんなんです。(因此,基於強調發音某個單詞會產生該單詞與其他單詞對比意義這一事實,判斷從表層結構推導意義是合理的,在遵循生成文法框架的限制下,實際上是困難的。) このように、深層しんそう構造こうぞうではなくて表層ひょうそう構造こうぞうほうから意味いみみちびいたほうが、標準ひょうじゅん理論りろん全体ぜんたい枠組わくぐみみから論理ろんり的に要請ようせいされるというわけでもありません。(這樣看來,從表層結構而不是深層結構推導意義,也不是標準理論整體框架在邏輯上要求的。)深層しんそう構造こうぞう適格てきかくせい判断はんだんする基準きじゅんがないという問題もんだいはあるにしても、意味いみ解釈かいしゃくするための構造こうぞうとして深層しんそう構造こうぞう仮定かていいしたことには、とく主語しゅご目的語もくてきご理解りかいをうまく説明せつめいすることを可能かのうにしたという意味いみでは、それなりの利点りてんがあります。(雖然對深層結構適格性的判斷標準沒有依據,但假設深層結構作為解釋意義的結構,在特別是能夠很好地解釋對主語和賓語的理解這個意義上,是有其優點的。)意味いみにつながるからこそ、深層しんそう構造こうぞう存在そんざい理由りゆうがあるとっても過言かげんではないのです。(正因為它導向意義,所以說深層結構存在的理由是不為過的。) それにもかかわらず、意味いみみちびくのは深層しんそう構造こうぞうではなく表層ひょうそう構造こうぞうほうだという方向ほうこうへ、生成せいせい文法ぶんぽう方針ほうしん転換てんかんすることにしたのでした。(儘管如此,生成文法還是決定改變方針,轉向意義是由表層結構而不是深層結構推導出來這一方向。)いくつか都合つごうわるれい提出ていしゅつされると、理論りろんにとって重要じゅうよう前提ぜんていでもいさぎよ放棄ほうきするという態度たいどは、生成せいせい文法ぶんぽうのよくえば柔軟じゅうなんなところではあります。(一旦提出了一些不合適的例子,就毫不猶豫地放棄對理論至關重要的前提,這是生成文法所謂柔軟的地方。)しかし、深層しんそう構造こうぞうから意味いみみちびすというしくみが、理論りろん体系たいけい全体ぜんたいからしてどうしても矛盾むじゅんおここしてしまうからよくないのだ、というような、厳密げんみつ論理ろんり検証けんしょうないで変更へんこうされてしまうというのは、たしてこの理論りろん科学かがくせい保証ほしょうすることになるのか、心配しんぱいなところでもあるのです。(但是,如果說從深層結構推導意義的機制會從理論體系的整體上引起矛盾所以不好,卻沒有經過嚴密的邏輯驗證就被改變了,這樣做是否能為這個理論保證科學性,這是令人擔憂的地方。)

しんそうこうぞうめいみゃくたもったゆう

どうき出すこうぞうひょうそうこうぞうだということになると、まずこまるのは、もんぶんとうにあるもんぶんです。(如果導出意義的結構就是表層結構,那麼首先遇到困難的是疑問詞位於句首的疑問句。)もくてきなのにぶんとうかれているもんが、きちんともくてきだとかいされるのは、かいしゃくするためのしんそうこうぞうでは、ちゃんとどうみぎがわかれているからだ、というのがしんそうこうぞうせっていするおおきなてんの一つでした。(虽然疑問詞作為賓語卻被放在句首,但在用於解釋意義的深層結構中,它被正確地放在了動詞的右側,這就是設立深層結構的主要優點之一。) ところがしんそうこうぞうからき出せなくなったいまでは、しゅでもないもんぶんとうかれているひょうそうこうぞうをもとにして、そのもんもくてきだということを何とかしてせつめいしなければならなくなったのです。(但是現在既然不能從深層結構導出意義,就不得不根據既然非主語的疑問詞被放在句首的表層結構,設法解釋該疑問詞是賓語。) しんそうこうぞうというレベルを使わなくても、例えば次のぶんさきとうにあるもんの what がもくてきだということをせつめいするほうほうはあります。(即使不使用深層結構的層次,也有辦法解釋例如句首的疑問詞 what 是賓語的方法。) (64) What did you watch on TV? (你在電視上看了什麼?) えいで、ぜんともなわないめいは、しゅもくてきのどちらかのはたらきをします。(在英語中,不帶前置詞的名詞要麼充當主語,要麼充當賓語。)もしぶんとうにあるめいしゅならば、えいじゅんそくによって、そのあとにはどうが来ていなければなりません。(如果句首的名詞是主語,那麼根據英語的語序規則,其後面必須跟著動詞。)したがって、次にある did は「した」というどうであるはずです。(因此,接下來的 did 應該是表示「做」意思的動詞。)そしてさらに次のたんを見ると、you というだいめいです。(而且再看下一個單詞,是代詞 you。)だとすると、どうの did はどうで、did you で「どうもくてき」となるはずですが、あらわは「あなたをした」というぜんなものになります。(這樣的話,動詞 did 應該是及物動詞,did you 應該是「及物動詞+賓語」,但表達的意思是「做了你」這樣不自然的含義。)したがって、did はどうではなくて、じょどうではないかとすいそくされます。(因此,did 不是動詞,而是推測為助動詞。) じつさい、you の後にどうの watch が来ていますから、did はもんぶんを作る時に使つかわれるじょどうだとけっていされます。(實際上,you 後面跟著動詞 watch,所以 did 被確定為用於製造疑問句的助動詞。)だとすると、どうの watch のちょくぜんにあるだいめいの you は、えいじゅんそくにより、しゅだとにんていされます。(這樣的話,根據英語的語序規則,直接位於動詞 watch 前面的代詞 you 被認定為主語。)しゅは you なのですから、もう一つのぜんともなわない what はもくてきだとにんていされるわけです。(既然主語是 you,那麼不帶前置詞的另一個 what 就被認定為賓語了。) ことせつめいしたので、少しかりにくかったかもしれませんが、ひとぶんかいする時には、ひだりがわから一つずつたんを見たりいたりしながら、そのはたらきをだんだんとにんていしていくという、いえないじつをもとにするならば、このようなほうほうでもこのようなたいてきぶんだけをもとにして、ぶんとうもんもくてきだということをせつめいすることはのうです。(雖然文字說明可能有點難懂,但基於人在理解句子意義時,是從左到右逐個觀看或聽取單詞,並逐漸認定其含義和作用的無可否認的事實,用這樣的方法也完全可以根據這樣具體的句子來解釋句首的疑問詞是賓語。) しかしもちろん、せいせいぶんぽうはこのようなほうほうどうみぎがわにないもんもくてきだということをせつめいすることはありませんでした。(但當然,生成文法不會用這樣的方法來解釋不在動詞右側的疑問詞是賓語。)しんそうこうぞうひょうそうこうぞうという二つのレベルをしながらせつめいするためのだんとして持ち出されたのは、しんそうこうぞうからあるたんどうした後の「こんせき」というかんがえ方です。(在保持深層結構和表層結構兩個層次進行解釋的手段中,提出的是單詞從深層結構移動後留下的「痕跡」這樣的想法。) その前に、あまりにだいしたへんけいそくぐんせいするていとうじょうした、「こうぞうせつ」というのがありました。(在整理變得過度膨脹的變形規則群的過程中,出現了所謂「結構保持假說」。)これは、どうともなへんけいそくで、あるたんが別のどうしたとしても、どうぜんこうぞうどうこうぞうわらないというせつです。(這是一個假說,認為在涉及移動的變形規則中,即使某個單詞移動到另一個位置,移動前的結構和移動後的結構也不會改變。)要するに、しんそうこうぞうからひょうそうこうぞうに至るまで、へんけいそくてきようされてたんせつどうしたとしても、こうぞうはそのままだというせいしつていしておこうというものです。(總之,即使從深層結構到表層結構的過程中應用了變形規則,單詞和詞綴發生了移動,結構本身保持不變,這就是該假說要假定的性質。) このせつていされるはいけいとしては、たんどうするようなへんけいがあったとしても、そのどうさきはどこでもいいというわけではなく、例えばめいならば、もとのからのどうさきとしては、やはりめいめることができるでなければならないというせいしつがあるとしゅちょうされたことがあります。(提出該假說的背景是,即使存在導致單詞移動的變形,其移動位置也不是任意的,例如名詞短語只能移動到名詞短語本身能佔據的位置。) れいとして、次のれいを見てみましょう。(作為例子,讓我們看看下面的例子。) (65) Richard seems to be sad. (理查德看起來很傷心。) (66) e seems [Richard to be sad] (65)のしんそうこうぞうは、(66)だとされます。((65) 的深層結構被認為是 (66)。)ぶんとうにある e というのは、こうぞうの中ではあるけれども、何のたんも入っていないということをしめひょうしきです。(句首的 e 是一個標記,表示結構中有位置,但沒有任何詞彙項目。)seem というどうがかなりとくしゅどうだということは分かるにしても、どうしてこういうしんそうこうぞうになるのか、どうもかいしにくいところはあります。(雖然我們能理解 seem 是一個相當特殊的動詞,但為什麼會有這樣的深層結構還是難以理解。)ここではそれをもん

またまた疑問詞ぎもんし移動いどうする場所ばしょ(「着地点ちゃくちてん」などとばれます)として、なにもないところに移動いどうするのではなく、あらかじめ移動いどうできる場所ばしょ確保かくほされているのだと主張しゅちょうすることも可能かのうになります。(而且,與其說疑問詞移動到的地方(被稱為「著陸點」等)是空無一物的位置,不如說移動的地點是事先確保好的,這樣的主張也就變得可能了。)ただただ補文標識ほぶんひょうしきというのは that のような接続詞せつぞくしなのですから、これと基本的きほんてきには名詞めいし性質せいしつをもった what や who のような疑問詞ぎもんし疑問代名詞ぎもんだいめいし)が、文法的ぶんぽうてきおなはたらきをしている仲間なかまだとかんがえるのは、実際じっさいのところむずかしいとえます。(但是,既然補文標記是像 that 這樣的連接詞,就很難認為基本上具有名詞性質的 what 或 who 這樣的疑問詞(疑問代名詞)在文法上是發揮相同作用的同類。)さきほどものべたように、ある単語たんごは、それとおな範疇はんちゅうぞくする単語たんごしめめることができる位置いち移動いどうするのが原則げんそくのはずなのに、疑問詞ぎもんし補文標識ほぶんひょうしき位置いちにも移動いどうできるとするからには、両者りょうしゃ機能きのうおなじだということがきちんと論証ろんしょうできていなければなりません。(如前所述,某個詞應該是移動到與它同一範疇的詞能夠佔據的位置,但既然說疑問詞也能移動到補文標記的位置,就必須恰當地論證這兩者的功能是相同的。)じつは、その論証ろんしょう合理的ごうりてきにできているかどうかはうたがわしいところがあるのですが、いずれにしても疑問詞ぎもんし what は、文頭ぶんとうにある空所くうしょ移動いどうするわけです。(實際上,那個論證是否能夠合理地進行是有疑問的,但無論如何,疑問詞 what 還是會移動到句首的空所。)そうなると今度こんどは、what が移動いどうしたあと空所くうしょになります。(這樣的話,what 移動之後原來的位置就變成空所了。)そこで、この空所くうしょには、what があったという「痕跡こんせき」がのこるとしようではないかという仮説かせつてられます。(因此,便提出了一個假說,認為這個空所中會留下 what 曾經存在過的「痕跡」。)痕跡こんせき英語えいごで trace ですから、りゃくして t であらわすことにすると、(67)に wh 移動変形いどうへんけい適用てきようされたあと構造こうぞうは、つぎのようになります。(痕跡在英語中是 trace,所以簡寫為 t 來表示,那麼將 wh 移動變形規則應用於 (67) 之後的結構就會變成這樣。)(68) whati you watched ti on TV(what 和 t 的右下角標有 i,這是為了表明留下痕跡 t 的單詞是 what。)what と t の右下うかしたに i という添字てんじいているのは、痕跡こんせき t をのこした単語たんごが what なのだよということをしめすための記法きほうです。(what 和 t 的右下方標有下標 i,這是為了表明留下痕跡 t 的單詞是 what 的記法。)さらにこの構造こうぞうに「助動詞じょどうし主語倒置変形規則しゅごとうちへんけいきそく」と「do 挿入規則そうにゅうきそく」が適用てきようされた結果けっかつぎ表層構造ひょうそうこうぞうができあがります。(進一步將「助動詞-主語倒置變形規則」和「do 插入規則」應用於這個結構,就產生了以下的表層結構。)(69) whati did you watch ti on TV(表層結構階段痕跡仍然被認為存在著。)表層構造ひょうそうこうぞう段階だんかいでも、痕跡こんせきはまだのこっているとされます。(即使在表層結構的階段,痕跡仍然被認為存在。)そして、これが重要じゅうようなのですが、この表層構造ひょうそうこうぞうから意味いみみちびさいに、文頭ぶんとうにある what のはたらきは、その痕跡こんせきが watch の右側みぎがわ、つまり目的語もくてきご位置いちにあることから、その痕跡こんせきおな目的語もくてきごだということがかるということです。(而且這很重要,在從這個表層結構導出意義時,句首 what 的作用是,由於它的痕跡在 watch 的右側,也就是作為賓語的位置,從而可以看出它與那個痕跡是同一個賓語。)深層構造しんそうこうぞうから意味いみみちびかないしくみになっても、移動いどうあと痕跡こんせきのこるのだとすれば、その痕跡こんせきは、たしかに目的語もくてきごしめめるべき本来ほんらい位置いちにちゃんとのこっています。(即使改變為不從深層結構導出意義的機制,只要移動後會留下痕跡,那麼痕跡確實會恰當地留在賓語本應佔據的原始位置。)ですから、痕跡こんせきそのものは句構造規則くこうぞうきそくから規則的きそくてき予測よそくされるはたらきをもつことができるわけです。(因此,痕跡本身就能具有從句結構規則規則性地預測出來的作用。)移動いどうした疑問詞ぎもんしとその痕跡こんせきは、えないけれどもたしかに存在そんざいするひものようなものでむすばれているとかんがえられていますから、たとえ表層構造ひょうそうこうぞうでは不規則ふきそく位置いちしめめていたとしても、ただしい位置いち依然いぜんとしてしめつづけている痕跡こんせきがありさえすれば、文法的ぶんぽうてきはたらきを理解りかいすることがさまたげられることはないというわけです。(移動的疑問詞和它的痕跡被認為是由一根看不見但確實存在的線聯繫在一起的,因此即使在表層結構中佔據不規則的位置,只要痕跡仍然保持著正確的位置,就不會妨礙對其文法作用的理解。)痕跡こんせき」がのこるというしくみは、なかなかよくかんがえたものです。(「痕跡」保留的機制是考慮得相當周密的。)ただし、痕跡こんせきはあくまで仮定かていいされているだけの存在そんざいで、実際じっさいにはどの単語たんごによってもしめめられていない構造中こうぞうちゅう位置いちがあるだけです。(但是,痕跡終究只是被假定的存在,實際上只是結構中沒有任何詞佔據的位置而已。)しかも、その構造中こうぞうちゅう位置いちにしても、構造保持仮説こうぞうほじかせつという、完全かんぜんただしいことが論証ろんしょうされたとはえない仮説かせつによってたん仮定かていされているだけのものです。(而且,即使是這個結構中的位置,也只是根據結構保持假說這一完全無法論證為正確的假說而被簡單地假定的。)つまり、痕跡こんせきは、論証ろんしょう完成かんせいしていない仮定かてい二回にかい繰返くりかえすことでようやくみとめられているだけの、まことにあやぶない存在そんざいぎません。(也就是說,痕跡只是通過重複兩次尚未完成論證的假定才勉強被認可的,實在是一個非常危險的存在。)そのような存在そんざい前提ぜんていとして、ようやく可能かのうになる表層構造ひょうそうこうぞうからの意味解釈いみかいしゃく積極的せっきょくてき支持しじすることは、かなり困難こんなんなのではないかとおもえてなりません。(以這樣的存在為前提,才剛剛變得可能的從表層結構進行的意義解釋要積極地支持,這似乎是相當困難的。)いずれにしても、表層構造ひょうそうこうぞうから意味いみみちびかれるのだとすると、意味いみみちび構造こうぞうとして意義いぎをもっていた深層構造しんそうこうぞう仮定かていする根拠こんきょおおきくそこなわれることになるはずです。(無論如何,如果意義是從表層結構導出的,那麼仮定曾經作為導出意義的結構而具有意義的深層結構的根據就應該大大削弱。)とはいえ、できるだけすくないかず句構造規則くこうぞうきそくつくることができる、規則性きそくせいたか構造こうぞうとしての存在価値そんざいかちはまだあります。(儘管如此,作為能用盡可能少的句結構規則構建的、規則性高的結構,深層結構仍然具有存在價值。)こうして深層構造しんそうこうぞうは、生成文法理論せいせいぶんぽうりろんなかで、なにとか命脈めいみゃくたもつことができたのです。(就這樣,深層結構在生成文法理論中勉強保持了生命力。)