考題索引

第九章 近世きんせい文芸ぶんげい信仰しんこう

第一節 浮世絵うきよえ

(一)「浮世絵うきよえ」の誕生たんじょう

からへ 戦国時代せんごくじだい無常むじょう意味いみする「」という世界観せかいかんがあった。江戸時代えどじだいはいって、その「」からこの謳歌おうかするかたしめす「」へと、世界観せかいかん転換てんかんしてきた。元禄げんろく年間ねんかん(1688-1704)、その変化へんか絵画かいが世界せかいにも影響えいきょうあたえ、あたらしいジャンルが登場とうじょうした。当世風とうせいふう大衆たいしゅう的な絵画かいが浮世絵うきよえ」の誕生たんじょうである。

大衆たいしゅう向けの商品しょうひん 今日きょう派手はでいろひとうば浮世絵うきよえ美術品びじゅつひんとして有名ゆうめいである。しかし、江戸時代えどじだいには、浮世絵うきよえ大衆たいしゅう向けの商品しょうひんであった。ひとあつまるところには浮世絵うきよえみせがあり、一般大衆いっぱんたいしゅうはそれを気軽きがるもとめた。それまでの絵画かいが肉筆画にくひつがといった一点いってんのものがほとんどだった。そのため、高価こうかなことからおも公家くげなどがたのしむものであった。その版画はんが使つかっておな絵柄えがらのものを安価あんか大量たいりょう生産せいさんできるようになった。そのことによって、浮世絵うきよえ急速きゅうそく庶民しょみんあいだひろがった。

(二)浮世絵うきよえ発展はってん

初期しょき浮世絵うきよえ 浮世絵うきよえによくもちいられた題材だいざい美人びじん歌舞伎かぶき役者やくしゃ花魁おいらん江戸えど吉原よしわら遊女ゆうじょなかでも上位じょういのもののしょう)、力士りきし風景ふうけいなどであった。初期しょき浮世絵うきよえ都市としの「あそび」の世界せかい、とりわけ遊廓ゆうかく芝居町しばいまち代表だいひょうとする「悪所あくしょ」の非日常ひにちじょう世界せかいえがくものがおおく、美人画びじんが役者絵やくしゃえ中心ちゅうしんであった。

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学習ポイント

  1. 浮世絵うきよえ由来ゆらい展開てんかい
  2. 近世文学きんせいぶんがく主要しゅようなジャンル
  3. 貸本文化かしほんぶんか
  4. 近世きんせい民間信仰みんかんしんこう新興宗教しんこうしゅうきょう

主題しゅだい多様化たようか 享保きょうほう年間ねんかん(1716-36)以降いこう悪所あくしょとして隔離かくりされた世界せかいたいして、現実げんじつ様相ようそうたいする関心かんしんたかまってきた。市井しせい庶民しょみん風俗ふうぞく浮世絵うきよえ題材だいざいもちいたのは、そうした傾向けいこうあらわれである。そして、かお中心ちゅうしん役者やくしゃなどの人物じんぶつ上半身じょうはんしんだけをえがく、「大首絵おおくびえ」というあたらたなジャンルもあらわれた。そうして、浮世絵うきよえはさらに主題しゅだい多様化たようかむかえた。天保てんぽう年間ねんかん(1830-44)に、風景画ふうけいが花鳥画かちょうがというジャンルが確立かくりつし、葛飾北斎かつしかほくさい(1760-1849)と歌川うたがわ安藤あんどう広重ひろしげ(1797-1858)らの諸名作しょめいさく次々つぎつぎ発表はっぴょうされていった。

幕末ばくまつ浮世絵うきよえ 19世紀せいきはいった幕末ばくまつに、開港かいこうした横浜よこはま異国いこく的な風俗ふうぞく描写びょうしゃした「横浜絵よこはまえ」や、ニュースを速報そくほうする時事報道画じじほうどうがにも、浮世絵うきよえ大胆だいたん主題しゅだい展開てんかいさせ、おおきな役割やくわりたしていた。

(三)浮世絵うきよえ技法ぎほういろ

菱川師宣ひしかわもろのぶ 浮世絵うきよえという用語ようごは、浮世絵うきよえわれる菱川師宣ひしかわもろのぶ(?-1694)が活躍かつやく中の天和てんな年間ねんかん(1681-84)のころ定着ていちゃくした。師宣もろのぶはそれまでの墨一色すみいっしょく墨摺絵すみずりえに、赤色あかいろ鉱物性こうぶつせい顔料がんりょうによって肉筆彩色にくひつさいしょくほどこした「丹絵たんえ」で、うつくしさを際立きわだたせることに成功せいこうした。そして、丹絵たんえべにという赤色あかいろ植物性しょくぶつせい染料せんりょう基調きちょうとして彩色さいしょくする「紅絵べにえ」へと発展はってんした。さらに、版画はんが技術ぎじゅつ向上こうじょうともない、すみのほかにべに草色くさいろなど2、3しょく複数ふくすうはん技術ぎじゅつまれた。それは「紅摺絵べにずりえ」とばれて流行りゅうこうした。

鈴木春信すずきはるのぶ 鈴木春信すずきはるのぶ(1725-70)は紅摺絵べにずりえ技術ぎじゅつをもとに、1765(明和めいわ2)ねん版木はんぎかさねる技術ぎじゅつ開発かいはつし、多色摺版画たしょくずりはんがつくった。その豪華ごうかうつくしさから錦絵にしきえばれ、のち浮世絵版画うきよえはんが代表的だいひょうてき名称めいしょうとなっ

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た。錦絵にしきえは、多色摺たしょくずりりにりあげるのにがかかることから、当初とうしょおも金持かねもちの風流人ふうりゅうじんたちがたのしむものであった。しかし制作技術せいさくぎじゅつがさらに向上こうじょうし、やがて大量生産たいりょうせいさんされるようになると、ひろ一般大衆いっぱんたいしゅうしたしまれるようになった。

浮世絵版画うきよえはんが制作せいさくには、下絵したええが絵師えし板木はんぎ、そして必要ひつようである。複雑ふくざつ工程こうてい分業体制ぶんぎょうたいせいなかで、それぞれ自前じまえちから発揮はっきして、はじめて工芸的美術品こうげいてきびじゅつひんともえる浮世絵版画うきよえはんが完成かんせいさせることができたのである。

(四)代表的だいひょうてき浮世絵師うきよえし

さきべた浮世絵うきよえ作者さくしゃのほかに、美人びじん群像画ぐんぞうが得意とくいとした鳥居清長とりいきよなが(1752-1815)や、役者やくしゃ似顔絵にがおえ得意とくいとした勝川春章かつかわしゅんしょう(1726-92)などがいた。また、喜多川歌麿きたがわうたまろ(1753-1806)と東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく生没年未詳せいぼつねんみしょう)らは、美人びじん役者やくしゃ大首絵おおくびえおおえがき、一世いっせい風靡ふうびした。

第二節 近世文学きんせいぶんがくしょジャンル

(一)仮名草子かなぞうしから草双紙くさぞうし

仮名草子かなぞうし流行りゅうこう 江戸時代えどじだいには様々さまざま出版物しゅっぱんぶつ刊行かんこうされた。17世紀せいき出版しゅっぱん中心地ちゅうしんち京都きょうと大坂おおさかなどの上方かみがたであった。江戸えど書店しょてんも、当初とうしょ京都きょうと有力ゆうりょく本屋ほんや出店でみせ中心ちゅうしんであった。しかし、元禄げんろくごろから江戸えど出版業界しゅっぱんぎょうかい勢力せいりょくひろげ、18世紀せいきなかばにそのいきおいは上方かみがたのそれを凌駕りょうがするようになった。

17世紀せいき前半ぜんはんからなかごろにかけて、「仮名草子かなぞうし」がはやっていた。仮名草子かなぞうしとは、中世ちゅうせいからの系譜けいふ平易へいい仮名文かなぶんかれた小説しょうせつのことである。内容ないよう恋愛れんあい娯楽ごらく、そして教訓物きょうくんもの評判記ひょうばんき遊女ゆうじょ役者やくしゃ容姿ようし演芸えんげい相撲すもう名物めいぶつなどを批評ひひょうした書物しょもつ)、名所案内記めいしょあんないき各地かくち名所めいしょ景観けいかん由緒ゆいしょ交通こうつうなどを解説かいせつした書物しょもつ・パンフレット)など多岐たきにわたっていた。

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庶民しょみんもの 本格的ほんかくてき庶民しょみんものとして、井原西鶴いはらさいかく(1642-93)が刊行かんこうした浮世草子うきよぞうし好色一代男こうしょくいちだいおとこ』(1682)が評判ひょうばんとなった。その西鶴さいかくはさらに数々かずかずのベストセラーを量産りょうさんしていった。西鶴さいかくの『好色一代男こうしょくいちだいおとこ』『好色五人女こうしょくごにんおんな』をはじめとした好色こうしょくもの、『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』や『世間胸算用せけんむねざんよう』などの町人ちょうにんものは、100ねんちかくにわたって上方かみがた人気にんきはくした。

草双紙くさぞうし登場とうじょう 江戸えどでは延宝えんぽう年間ねんかん(1673-81)に、庶民しょみんこのまれた通俗的つうぞくてきものとして、草双紙くさぞうし登場とうじょうした。1さつは5ちょう(10ページ)からなる。各丁かくちょうがあり、その余白よはく仮名かな本文ほんぶんはいる。今日きょう絵本えほんちかいものであった。表紙ひょうしいろ製本せいほん仕方しかたによって、赤本あかほん黒本くろほん青本あおほん黄表紙きびょうし、そして合巻ごうかんなどの種類しゅるいがある。赤本あかほん教訓きょうくん目的もくてきとした子供こどもけのおとぎばなしおおかった。黒本くろほん青本あおほん軍記ぐんき歌舞伎かぶきのストーリーをものにしたものであった。

黄表紙きびょうし 他方たほう黄表紙きびょうし成人せいじん対象たいしょうにしておおくなり、滑稽こっけい洒落しゃれものにした黄色表紙きいろひょうしものである。代表作だいひょうさく恋川春町こいかわはるまち(1744-89)の『金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ』(1775)をはじめとして、戯作者げさくしゃ山東京伝さんとうきょうでん(1761-1816)の『江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき』(1785)や、朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじ(1735-1813)の『文武二道万石通ぶんぶにどうまんごくどおし』(1788)などがあった。

合巻ごうかん 合巻ごうかん黄表紙きびょうし長編化ちょうへんかしたもので、従来じゅうらい5ちょう1さつのものを数冊すうさつで1さつとして合本ごうほんしたことから、そのようにばれた。内容ないよう伝奇色でんきしょくつよ物語ものがたりおおく、敵討かたきうちや御家騒動おいえそうどうげられた。歌舞伎かぶき小説化しょうせつかしたものもあり、華麗かれい表紙ひょうし挿絵さしえ読者どくしゃ関心かんしんけた。式亭三馬しきていさんば(1776-1822)の『雷太郎強悪物語らいたろうごうあくものがたり』(1806)は敵討かたきうもの代表作だいひょうさくで、黄表紙きびょうしから合巻ごうかんへの橋渡はしわたしの作品さくひんとされる。

合巻ごうかん代表作だいひょうさく柳亭種彦りゅうていたねひこ(1783-1842)の『偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ』(1829-42)である。38へんまで出版しゅっぱんされた(ぜん40へん)。この作品さくひんは、『源氏物語げんじものがたり』の舞台ぶたい室町時代むろまちじだいうつして翻案ほんあんしたものである。そして、挿絵さしえ歌川国貞うたがわくにさだ(1786-1864)がえがいた。11だい将軍しょうぐん家斉いえなり(1773-1841)の大奥おおおく生活せいかつ諷刺ふうししたものとして、天保てんぽう改革かいかくにおいて処罰しょばつされて絶版ぜっぱんとなっ

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た。以後いご合巻ごうかんはだんだん長編化ちょうへんかして、明治めいじのはじめまで大衆たいしゅう向けのものとして出版しゅっぱんされつづけた。

山東京伝さんとうきょうでん 本名ほんみょう岩瀬醒いわせさむる江戸えど深川ふかがわ質屋しちやまれ、浮世絵師うきよえしから黄表紙きびょうし進出しんしゅつ、さらに洒落本しゃれぼんれっ作者さくしゃとなる。1791(寛政かんせい3)ねん筆禍ひっか事件じけん読本よみほん転向てんこうし、数々かずかず傑作けっさくのこした。

(二)読本よみほん

読本よみほん登場とうじょう 18世紀せいきなかばごろに、主体しゅたいとした草双紙くさぞうしたいして、文章ぶんしょう中心ちゅうしんとする大人おとな向けのものとして、読本よみほん登場とうじょうした。読本よみほん発祥はっしょう上方かみがたとされていたが、のちにその中心ちゅうしん江戸えどうつり、おおくの作品さくひん出版しゅっぱんされた。読本よみほんは、中国ちゅうごく白話小説はくわしょうせつ中国ちゅうごく口語こうご会話文かいわぶんかれた小説しょうせつ)や和漢わかん故実こじつ歴史人物れきしじんぶつなどを素材そざいにし、おおくが流麗りゅうれい和漢混淆文わかんこんこうぶんかれた。空想的くうそうてき伝記的でんきてき物語ものがたり、そして因果応報いんがおうほう勧善懲悪かんぜんちょうあく世界せかいえがくものがおおかった。

読本よみほん素材そざい 読本よみほん元祖がんそ都賀庭鐘とがていしょう(1718-94ごろ)の『英草紙えいぞうし』(1749)とわれる。白話小説はくわしょうせつ日本にほん歴史人物れきしじんぶつえた9つの短編たんぺんからなる小説集しょうせつしゅうで、漢籍かんせきかした文学的ぶんがくてきつよ文体ぶんたいち、人物描写じんぶつびょうしゃすぐれている。国学者こくがくしゃでもある建部綾足たけべあやたり(1719-74)は、実際じっさいこった殺人事件さつじんじけん取材しゅざいした『西山物語にしやまものがたり』や、中国ちゅうごくの『水滸伝すいこでん』から構想こうそうりて奈良時代ならじだい道鏡どうきょう事件じけんをモチーフにした『本朝水滸伝ほんちょうすいこでん』をいた。

なお、『水滸伝すいこでん』は儒学者じゅがくしゃ荻生徂徠おぎゅうそらいともしたしかった岡島冠山おかじまかんざん(1764-1728)によって翻訳ほんやくがなされた(『通俗忠義水滸伝つうぞくちゅうぎすいこでん』〈1757〉)こともあって、以後いご水滸伝すいこでん』は読本よみほん主要しゅよう素材そざいひとつとしてしたしまれていた。

都賀庭鐘とがていしょう漢学かんがく医学いがくまなんだ上田秋成うえだあきなり(1734-1809)は、作風さくふうぎ、9つの短編たんぺんからなる怪異小説集かいいしょうせつしゅう雨月物語うげつものがたり』(1768)をあらわした。独自どくじ幻想的げんそうてき世界せかいえがいたこの作品さくひんは、たん怪異かいい描写びょうしゃにとどまらず、人間性にんげんせい真実しんじつ伝記的でんきてき事件じけんとおしてえがしている。また、秋成あきなり生前せいぜんには出版しゅっぱんされなかったが、10へん短編物語たんぺんものがたり

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からなる『春雨物語はるさめものがたり』(1808ごろ)は、秋成あきなり晩年ばんねん思想しそう理解りかいするうえ重要じゅうよう作品さくひんひょうされる。

出版しゅっぱん中心ちゅうしん江戸えど 19世紀せいきはいって、読本よみほん出版しゅっぱん中心ちゅうしん上方かみがたから江戸えどうつった。江戸えど読本よみほん基礎きそきずいたのが、洒落本しゃれぼん黄表紙きびょうしおおくの傑作けっさくのこした山東京伝さんとうきょうでんである。1787(天明てんめい7)ねんから1793(寛政かんせい5)ねんにかけて、老中ろうじゅう松平定信まつだいらさだのぶによって寛政かんせい改革かいかくおこなわれ、奢侈しゃし禁止きんしともなって出版しゅっぱんきびしくまられた。1791ねん筆禍ひっか事件じけんまれた山東京伝さんとうきょうでんは、洒落本しゃれぼんから読本よみほん転向てんこうして、ヒットさく忠臣水滸伝ちゅうしんすいこでん』(1799)や『昔話稲妻表紙むかしがたりいなづまびょうし』(1806)をあらわした。

京伝きょうでんについで黄表紙きびょうし作家さっかから読本よみほんてんじて、ついに師匠ししょう京伝きょうでんして人気にんき作家さっかとなったのが滝沢たきざわ曲亭きょくてい馬琴ばきんである。読本よみほんには、伝奇でんき任侠にんきょう伝説でんせつ史伝しでんなどを素材そざいとする稗史物はいしものというジャンルがある。馬琴ばきんは、この稗史物はいしもの得意とくいだった。1807ねんから代表作だいひょうさくひとつ『椿説弓張月ちんせつゆみはりづき』(1807-10)を発表はっぴょうした馬琴ばきんは、長編史伝物ちょうへんしでんもの先駆者せんくしゃとなった。以後いご数々かずかずのベストセラーをあらわし、馬琴ばきん人気にんき作家さっかとして不動ふどう地位ちいたのである。

南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん 『南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん』はじんれいちゅうしんこうてい八徳はっとくそなえる八犬士はっけんしが、ちからわせて里見家さとみけ再興さいこうするはなしである。1814(文化ぶんか11)ねん刊行かんこうしはじめ、28年間ねんかんにわたって精力せいりょくかたむけて、ついに1842(天保てんぽう13)ねん完成かんせいした、馬琴ばきんのもうひとつの傑作けっさくである。この『八犬伝はっけんでん』は室町時代むろまちじだい安房あわくにいま千葉県南部ちばけんなんぶ)の豪族ごうぞく里見氏さとみし再興さいこう話を背景はいけいに、八犬士はっけんし活躍かつやくする壮大そうだい伝奇小説でんきしょうせつである。96かん106さつからなる一大長編いちだいちょうへんで、『水滸伝すいこでん』などを下敷したじきにした作品さくひんである。その特徴とくちょうは、様々さまざま説話せつわ伝承でんしょうれて複雑ふくざつ展開てんかいになっていることと、勧善懲悪かんぜんちょうあく思想しそう駆使くししたところにある。

都賀庭鐘とがていしょう 大坂おおさか儒者じゅしゃ医者いしゃ近路行者きんろぎょうじゃというごう読本よみほんいた。中国語ちゅうごくごつうじ、謡曲ようきょくのううたい)や浄瑠璃じょうるり中国語訳ちゅうごくごやくしたり、中国ちゅうごくの『康熙字典こうきじてん』を校定こうていして日本にほん出版しゅっぱんしたりした。

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岡島冠山おかじまかんざん 長崎ながさき出身しゅっしん儒者じゅしゃ中国語ちゅうごくごつうずる。『水滸伝すいこでん』の翻訳ほんやくのほか、『唐話纂要とうわさんよう』『唐訳便覧びんらん』『華音唐詩選かおんとうしせん』などをあらわした。

上田秋成うえだあきなり 江戸えど後期こうき文人ぶんじん国学者こくがくしゃ大坂おおさか私生児しせいじとしてまれ、紙油商かみあぶらしょう上田氏うえだし養子ようしとなる。賀茂真淵かもまぶちけい国学こくがくまなび、万葉集まんようしゅう音韻学おんいんがくにもつうじ、本居宣長もとおりのりなが大論争だいろんそうしたことがある。作品さくひんには、読本よみほん雨月物語うげつものがたり』『春雨物語はるさめものがたり』のほか、浮世草子うきよぞうし諸道聴耳世間猿しょどうきくみせけんざる』や随筆ずいひつ胆大小心録たんだいしょうしんろく』などがある。

滝沢馬琴たきざわばきん 本名ほんみょう滝沢興邦たきざわおきくにのちとく旗本はたもとつかえる下級武士かきゅうぶしいえまれた。ちち死後しご、いったん武家奉公ぶけほうこうした。24さい戯作げさくこころざし、山東京伝さんとうきょうでん弟子入でしいりした。晩年ばんねん失明しつめいしたが、よめ相手あいて口述こうじゅつ筆記ひっきつづけ、『八犬伝はっけんでん』を完成かんせいさせた。

(三)洒落本しゃれぼん

洒落本しゃれぼんは、遊里ゆうり素材そざいにその風俗ふうぞくえがき、きゃく遊女ゆうじょとのあそびの様子ようすを、会話かいわ中心ちゅうしん文体ぶんたい再現さいげんしたものである。洒落本しゃれぼんたんなる文学ぶんがくではなく、評判ひょうばん案内あんないといった実用性じつようせいねた。筋書すじがきは簡単かんたんで、吉原よしわら岡場所おかばしょなどの遊里ゆうり案内あんないし、遊客ゆうきゃく心得こころえいた。吉原よしわらでの一夜いちや遊興ゆうきょういた田舎老人いなかろうじん多田翁ただのじじいの『遊子方言ゆうしほうげん』(1770)は、会話体かいわたい精緻せいち風俗描写ふうぞくびょうしゃせ、洒落本しゃれぼん定型ていけい確立かくりつした。

黄表紙きびょうしたりさく江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき』をあらわした山東京伝さんとうきょうでんは、その登場人物とうじょうじんぶつもちいて続編ぞくへんともえる『通言総籬つうげんそうまがき』(1787)をおくした。実在じつざい吉原よしわら遊女屋ゆうじょや松葉屋まつばやとその遊女ゆうじょをモデルとした作品さくひんである。京伝きょうでんはそのほか、遊客ゆうきゃく遊女ゆうじょとの様々さまざま関係かんけい会話かいわによってこまかくえがいた『傾城買四十八手けいせいがいしじゅうはって』(1790)などの傑作けっさくのこしている。

しかし寛政かんせい改革かいかくとき京伝きょうでん洒落本しゃれぼん処罰しょばつされ、また作品さくひん様式ようしきまったこともあり、洒落本しゃれぼんはやがて下火したびになった。

(四)滑稽本こっけいぼん人情本にんじょうぼん

滑稽本こっけいぼん 滑稽本こっけいぼんとは文字通もじどおり、滑稽こっけいはなししるした小説しょうせつである。源流げんりゅう

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宝暦年間ほうれきねんかん(1751-64)に流行りゅうこうした談義本だんぎぼんであるが、洒落本しゃれぼん会話体かいわたいいだ。十返舎一九じっぺんしゃいっく(1765-1831)は『東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ』(1802-14)を発表はっぴょうして、たちまち人気にんきはくした。弥次郎兵衛やじろべえ北八きたはち喜多八きたはち)が東海道とうかいどうたびする途中とちゅうに、失敗しっぱい滑稽こっけいかえ道中記どうちゅうきで、洒落しゃれかした会話体かいわたいえがかれている。大好評だいこうひょうのせいで、一九いっくはその金毘羅参詣こんぴらさんけい宮島参詣みやじまさんけい次々つぎつぎ続編ぞくへん発表はっぴょうし、のべべ12へんの『続膝栗毛ぞくひざくりげ』を出版しゅっぱんした。当時とうじ庶民しょみんは、各地かくちたびする習慣しゅうかんがなかったため、そうした『膝栗毛ひざくりげものはあるしゅ旅案内たびあんない役割やくわりたしていたのである。

一九いっくについで、式亭三馬しきていさんば滑稽本こっけいぼん発表はっぴょうし、『浮世風呂うきよぶろ』(1809-13)や『浮世床うきよとこ』(1811-25)などの傑作けっさくおくした。銭湯せんとう髪結床かみゆいどこ舞台ぶたいに、江戸えど庶民しょみん世間話せけんばなしとおして、かれらの生活せいかつ心情しんじょうきとえがした。

人情本にんじょうぼん 人情本にんじょうぼんは、江戸えど世相せそう人々ひとびと恋愛生活れんあいせいかつえがいた恋愛小説れんあいしょうせつである。舞台ぶたい遊里ゆうりとはかぎらず、青年男女せいねんだんじょ恋愛関係れんあいかんけい写実的しゃじつてき風俗描写ふうぞくびょうしゃとともにえがし、こいにあこがれる女性じょせいおも読者どくしゃとした。為永春水ためながしゅんすい(1790-1843)が代表的だいひょうてき作者さくしゃで、『春色梅児誉美しゅんしょくうめごよみ』(1832-33)などの作品さくひんがある。天保てんぽう改革かいかく春水しゅんすい風俗壊乱ふうぞくかいらん理由りゆうばっせられ、ぼっした。以後いご人情本にんじょうぼん衰退すいたいしたが、時代じだいくだって明治期めいじき文学ぶんがくおおきな影響えいきょうのこしたとされる。

談義本だんぎぼん 談義だんぎとはもともと仏教ぶっきょう説法せっぽうであった。談義僧だんぎそう世相せそう諷刺ふうしする滑稽こっけいはなし民衆みんしゅう平易へいいかせ、評判ひょうばんとなった。その談義だんぎ影響えいきょうけて発生はっせいした、滑稽こっけいなか教訓きょうくんたくした通俗小説つうぞくしょうせつである。

第三節 貸本文化かしほんぶんか

江戸時代えどじだいは、ほん高価こうかなため、個人こじんほんうわけではなかった。そこで貸本屋かしほんやほんりるのが主流しゅりゅうであり、一般庶民いっぱんしょみんはよく利用りようしていた。貸本屋かしほんや江戸えど前期ぜんき寛永年間かんえいねんかん(1624-44)から、仮名草子かなぞうしなど民衆みんしゅう向けの書物しょもつ出版しゅっぱんとともに発達はったつした。そして、元禄期げんろくきから活動かつどうほん

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格化かくかし、近世中期きんせいちゅうき正徳しょうとく享保きょうほうごろには全国ぜんこくひろまった。19世紀せいきはじめの記録きろくでは、江戸えどには656にん大坂おおさかには300にんくらいの貸本屋かしほんやがいたという。さらに、天保年間てんぽうねんかん(1830-44)には江戸えど貸本屋かしほんやは800にんにもたっした。

貸本屋かしほんやは、おおぶろしきにほんつつんで背負せおって、得意先とくいさきまわった。読本よみほん滑稽本こっけいぼん、そして洒落本しゃれぼん人情本にんじょうぼんなど、様々さまざまものあつかった。料金りょうきん購入価格こうにゅうかかくの5の1から8の1ということだったから、人々ひとびと気軽きがるきなほんってむことができた。のち市中しちゅうみせかまえて、るのを貸本屋かしほんやえた。

貸本文化かしほんぶんか文化文政期ぶんかぶんせいき(1804-30)に隆盛りゅうせいむかえ、庶民しょみんほんしたしむ習慣しゅうかんがさらに浸透しんとうしていった。江戸時代えどじだいとおじて、貸本屋かしほんや人々ひとびと教養きょうよう娯楽ごらくおおきく貢献こうけんした。

第四節 近世きんせい民間信仰みんかんしんこう新興宗教しんこうしゅうきょう

寺社じしゃ霊場れいじょう巡礼じゅんれい 江戸時代えどじだいはいると、商業しょうぎょう交通こうつう発達はったつとともに、寺社じしゃ霊場れいじょうへの参詣さんけい巡礼じゅんれいさかんとなり、各地かくち巡礼じゅんれい札所ふだしょ参詣さんけいしるしとしてふだおさめる寺堂じどう)がつくられた。当時とうじ西国さいごく三十三カ所、坂東ばんどう三十三カ所、秩父ちちぶ三十四カ所、そして西国さいごく八十八カ所などの霊場れいじょうをめぐってある巡礼じゅんれいさかんになった。また、伊勢信仰いせしんこうさかんで、御蔭参おかげまいりとばれる伊勢神宮いせじんぐうへの集団参詣しゅうだんさんけい流行りゅうこうした。近世きんせいには、山岳信仰さんがくしんこうこう発達はったつし、やま登拝とうはいした。また、富士山ふじさんふるくから山神やまがみ住処すみかとして信仰しんこうされ、近世きんせいには町人ちょうにん農民のうみん人気にんきがあった。そして、木曾御嶽きそおんたけかみ火事かじふせぐのにご利益りやくがあるとわれたので、ひろ信仰しんこうあつめた。江戸時代後期えどじだいこうきに、山岳信仰さんがくしんこうなかで、富士信仰ふじしんこう木曾御嶽信仰きそおんたけしんこう目覚めざましい発展はってんげた。

現世利益げんぜりやく信仰しんこう 近世きんせいでは、幕府ばくふ社会秩序しゃかいちつじょ維持いじするために、キリストきょう禁圧きんあつした。また、寺請制度てらうけせいどさだめて、すべての民衆みんしゅう寺院じいん所属しょぞくさせ、仏教ぶっきょう神道しんとうきびしく統制とうせいした。そのために、民間みんかんでは、

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家内安全かないあんぜん商売繁盛しょうばいはんじょう病気治癒びょうきちゆ厄除やくよけなどの現世利益げんせりやく信仰しんこう流行りゅうこうして、稲荷いなり金毘羅こんぴら不動ふどう明王みょうおう)、七福神しちふくじんなどの現世利益神げんせりやくしんまつ寺院じいん神社じんじゃがにぎわった。

そのなかでも、稲荷いなり五穀豊穣ごこくほうじょう商売繁盛しょうばいはんじょうをもたらすかみとしてもっとひろ信仰しんこうされた。金毘羅こんぴら海上交通かいじょうこうつう安全あんぜんまもかみとして信仰しんこうあつめた。が、不動ふどうつよ霊威れいい現世利益神げんせりやくしんとして信仰しんこうされた。それから、弁天べんてん大黒天だいこくてん恵比寿えびす毘沙門天びしゃもんてん布袋ほてい福禄寿ふくろくじゅ寿老人じゅろうじん七福神しちふくじんは、うみ彼方かなたから宝船たからぶねっておとずれてくるとしんじられていた。日本にほんでは、正月しょうがつ2にち宝船たからぶねまくらしたれてねむると、めでたいゆめられると、江戸時代えどじだいからつたえられてきた。

新興宗教しんこうしゅうきょう成立せいりつ 19世紀せいきになると、新興宗教しんこうしゅうきょう相次あいついで成立せいりつした。1802(享和きょうわ2)ねんに、一尊如来いっそんにょらいきの(1756-1826)は、創造主如来そうぞうしゅにょらい民衆みんしゅうすくうために金毘羅こんぴらをこのつかわしたとはじめ、如来教にょらいきょうひらいた。つづいて1814(文化ぶんか11)ねんに、禰宜ねぎ黒住宗忠くろずみむねただ(1780-1850)は、天照大神あまてらすおおみかみ宇宙うちゅう創造そうぞう万物ばんぶつそだてたかみであるといて、黒住教くろずみきょうひらいた。そして1838(天保てんぽう9)ねんに、中山なかやまみき(1798-1887)は天理王命てんりおうのみこと人間世界にんげんせかい創造そうぞう人間にんげん救済きゅうさいするとき、天理教てんりきょうひらいた。さらに1859(安政あんせい6)ねんに、川手文治郎かわてぶんじろう(1814-83)は天地金乃神てんちかねのかみ信仰しんこうき、金光教こんこうきょうひらいた。

これらの新興宗教しんこうしゅうきょうは、いずれも病気治癒びょうきちゆなどの現世利益げんせりやく強調きょうちょうし、近世きんせい仏教ぶっきょう神道しんとうにはもとめられなかった人間本位にんげんほんい信仰しんこういたので、ひろ農民のうみん商工民しょうこうみんこころをとらえた。

(文責:田世民)

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確認かくにんしてみよう】

一、つぎ文章ぶんしょうみ、ただしいものを下記かきから一つえらびなさい。

  1. 19世紀せいきはいった幕末ばくまつに、開港かいこうした横浜よこはま異国的いこくてき風俗ふうぞく描写びょうしゃしたのは(a. 開港絵かいこうえ、b. 横浜絵よこはまえ、c. 文明絵ぶんめいえ)である。
  2. 17世紀せいき前半ぜんはんからなかごろにかけて、はやっていたのは(a. 仮名草子かなぞうし、b. 浮世草子うきよぞうし、c. 枕草子まくらのそうし)である。
  3. 黄表紙きびょうし代表作だいひょうさく金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ』は(a. 朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじ、b. 恋川春町こいかわはるまち、c. 山東京伝さんとうきょうでん)の作品さくひんである。
  4. 合巻ごうかん代表作だいひょうさくである柳亭種彦りゅうていたねひこの『偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ』は、将軍しょうぐん(a. 家康いえやす、b. 家綱いえつな、c. 家斉いえなり)の大奥おおおく生活せいかつ諷刺ふうししたものとして、天保てんぽう改革かいかくにおいて処罰しょばつされて絶版ぜっぱんとなった。
  5. 江戸時代えどじだい民間みんかんでは現世利益神げんせりやくしんまつ寺院じいん神社じんじゃがにぎわった。なかでも、(a. 稲荷いなり、b. 金毘羅こんぴら、c. 七福神しちふくじん)は五穀豊穣ごこくほうじょう商売繁盛しょうばいはんじょうをもたらすかみとしてもっとひろ信仰しんこうされた。

二、つぎ文章ぶんしょうみ、空欄くうらん適切てきせつ言葉ことばれなさい。

  1. 江戸時代えどじだいはいって、戦国時代せんごくじだいのような無常むじょう意味いみする「」からこの謳歌おうかするかたしめす(   )へと、世界観せかいかん転換てんかんしてきた。
  2. 鈴木春信すずきはるのぶ紅摺絵べにずりえ技術ぎじゅつをもとに、1765ねん版木はんぎかさねる技術ぎじゅつ開発かいはつし、多色摺版画たしょくずりはんがつくった。その豪華ごうかうつくしさから(   )とばれ、のち浮世絵版画うきよえはんが代表的だいひょうてき名称めいしょうとなった。
  3. 井原西鶴いはらさいかくが1682ねん刊行かんこうした浮世草子うきよぞうし(   )は評判ひょうばんとなり、その西鶴さいかく数々かずかずのベストセラーを量産りょうさんしていった。
  4. 儒学者じゅがくしゃ荻生徂徠おぎゅうそらいともしたしかった岡島冠山おかじまかんざんによって翻訳ほんやくがなされたこともあって、以後いご(   )は読本よみほん主要しゅよう素材そざいの一つとしてしたしまれていた。

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  1. 1859(安政あんせい6)ねんに、川手文治郎かわてぶんじろう(1814-83)は天地金乃神てんちかねのかみ信仰しんこうき、(   )をひらいた。

三、つぎ文章ぶんしょうみ、設問せつもんこたえなさい。

  1. 今日こんにち派手はでいろひとうば浮世絵うきよえ美術品びじゅつひんとして名高なだかい。では、江戸時代えどじだいには浮世絵うきよえはどのような商品しょうひんだったのか、かんがえてみてください。
  2. 仮名草子かなぞうしとは、どのような小説しょうせつなのか、その名称めいしょう内容ないようについてかんがえてみてください。
  3. 表紙ひょうしいろ製本せいほん仕方しかたによって、草双紙くさぞうし絵草紙えぞうし)にはどのような種類しゅるいがあるのか、かんがえてみてください。
  4. 合巻ごうかんはなぜそのようにばれたのか、そしてその内容ないようおもにどのようなものだったのか、かんがえてみてください。
  5. 19世紀せいきはいって、たくさんの新興宗教しんこうしゅうきょう登場とうじょうし、民衆みんしゅうこころとらえた。その理由りゆうについてかんがえてみてください。

参考文献さんこうぶんけん

家永三郎いえながさぶろう 『日本文化史にほんぶんかし 第二版だいにはん』、岩波書店いわなみしょてん岩波新書いわなみしんしょ〉、1982年

深谷克己ふかやかつみ 「日本にほん歴史れきし6、江戸時代えどじだい」、岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみジュニア新書しんしょ〉、2000年

秋山虔あきやまけん三好行雄みよしゆきお 『原色げんしょくシグマ新日本文学史しんにほんぶんがくし』、文栄堂ぶんえいどう、2000年

小林忠こばやしただし 「浮世絵うきよえ変遷へんせん」、『週刊しゅうかん朝日百科ひゃっか78、日本にほん歴史れきし』、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2003年

大石学おおいしまなぶ 『大江戸おおえどまるわかり事典じてん』、時事通信社じじつうしんしゃ、2005年

倉地克直くらちかつなお 『江戸文化えどぶんかをよむ』、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2006年

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